レインウォッチャー

オールド・ジョイのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

オールド・ジョイ(2006年製作の映画)
4.0
この世に「行って帰ってくる」映画は数多あって、この作品もまたそうなのだけれど、こんなにもその前後で何も変わらなく見えるものも珍しいのではないだろうか。

旧友らしい男2人(と犬※1)が、森の温泉を目的地にキャンプへ赴く。これから父親になろうとするマークと、対照的に自由人な暮らし向きのカート(※2)。たった一泊の小旅行の中で彼らは非日常へと手を伸ばすのだけれど、確かなものは得られないまま、ラジオが暗いニュースを垂れ流す日々へと帰ってくる。

しかし、わたしたちは無視できない。2人の間にかつてはあったのかもしれない「何か」…その、外気に晒されるだけで赤く震える真皮のような繊細な場所に、指先が触れるか触れないか。かかと半分だけの浮遊。なのに確実に、元の形をそのまま取り戻すことはできない喪失感が際立って、彼らはどちらもそのことを口には出さないまま別れる。

「君と友達でいたいのに、壁を感じるんだ」…焚き火の前、カートが唸るようにようやく吐露した言葉。
ここには、名前のつけられない感情がある。友情だとか愛情だとか、既存の枠組みで測ろうとすればどこからも「未満」に見えるのに、確かに強く存在する何か。静謐で閉ざされた緑の中、その輪郭をたどろうとする。彼らが交わす言葉の中に。交わさない言葉の中に。

映画を観る目的は色々だけれど、一つにはほんのひととき違う人生を仮に生きることを通して、自分の中に持っていた大切な感情を再発見することがあると思う。愛や喜び、怒り、悲しみ。そこまでドラマティックとはいえない日常の中で忘れがちな感情を、ポケットに入り込んだコインのようにもう一度拾って、そうかまだこんな気持ちになれるんだ、と実感することだ。
だとすれば、この映画はなんと細い細い針の先のようなバランスにコインを置こうとしていることか。サスペンスもスペクタクルも無縁なのにスリリングとさえ言ってもよく、「生きてる」と思うことができる。間違いなく忘れがたい一本。

彼らの旅に寄り添う音楽を担当したのはヨ・ラ・テンゴ。ゆったりとした二本のギターが対話する様は、マークとカートが過ごす時間そのものだ。ギターを眠らせてる人は、こっそり三本目を重ねてみても良いかもしれない。

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※1:同行するマークの飼い犬ルーシーは、彼ら(特にマーク)を現実に繫ぎ止めるお目付役、優しい番犬であり、家で待つ妻の分身でもあるだろうか。牝だし。
「雨も降りそうだし」とかいけず言わんといてほしい…。

※2:カートを演じるハゲ&ヒゲマン、似てるな、いやまさかね…と思ってたら本当にウィル・オールダム!(a.k.a.ボニー・プリンス・ビリー。)まさに忘れられた森の妖精のような音楽を作る彼は、確かに「Old Joy」を知っている男。
彼のあまりに自然すぎる佇まいに驚くと同時に、ヨ・ラ・テンゴもそうだけれど何なのさこのインディーに愛され感…という嬉しみ。