どうしてケリーライカートの監督映画を観るとこんなに心が苦しくなるのだろう。
映画序盤では感じる気配も無かった虚無感に苛まれている。
親密な人との旅の終わり、別れ際のあの気持ち。離れた後どうやって過ごしているんだろう。
例え『悲しみは使い古された喜び』だったとしても誰かの記憶に新しいものとして残り続ければきっと喜びは廃れない、それでも悲しみが上をいってしまう悲しみ。
ラストカットが印象的。誰にも見られない夜に罪悪感の分だけ小さな善行を繰り返す、ずっと彼は何か報われるのを夢見て繰り返してきたのだろうか。
行くあてなくふらふらを歩き続けるカートに自分を映した。