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彼らが本気で編むときは、のShingoのレビュー・感想・評価

彼らが本気で編むときは、(2017年製作の映画)
3.0
性的指向や性同一性障害への理解が社会に浸透しつつも、まだ過渡期であることを感じさせる。リンコ(生田斗真)は職場でも女性として働けているし、恋人もいて、母親も味方だ。"工事"も終わって、あとは戸籍を変えるだけ。

それでも、病院では男性用の病室しか使用できない。おそらく、戸籍を女性に変えれば、病院でも女性として扱われるはずだが、戸籍が変わる前と後で、リンコ自身は何も変わっていないのに、なぜ扱いが変わるのか?
それが"区別"だとするなら、随分といい加減な区別の仕方をしていると思わざるを得ない。(あくまで映画なので、実際に病院でそういう扱いをしているかはわからないが)

本作は、トモ(柿原りんか)とマキオ(桐谷健太)、リンコの三人が一緒に暮らしていく様子を通して、"普通"とは何なのかを考えさせる。カイ(込江海翔)の母親が、普通とは何かと聞かれて「普通は普通よ、異常じゃないってこと」と答える。しかしこれは、ほとんど答えになっていないだろう。何が異常で、何が普通なのか、自分の中で線引きはしているのだろうが、それを言語化できないのだ。

リンコは女性らしい服装で、女性らしく振る舞ってはいるが、やはり手の大きさなどは男性的だ。そのような見た目で、"異常"と判断しているに過ぎない。また、そういう視線にさらされるから、リンコは必要以上に女性的であることを強いられる。
常にしおらしく、背筋を伸ばしてキチンとするさまは、好感を持てるし美しいが、そうしていなければ女性として扱ってもらえない。同僚の佑香(門脇麦)の方がよほど"女らしく"ないが、それでも女性として"普通"に扱われる。

成田凌と清原果耶がW主演した「まともじゃないのは君も一緒」では、"普通"ではない二人の方が、むしろ"まとも"なのではないかというテーマがコミカルに描かれる。
本作もまた、トランス女性であるリンコの方が、"普通"ではないとしても"まとも"なんじゃないかと思わされる。

社会には一定数のホモフォビア・トランスフォビアが存在するが、彼らが嫌悪し、あるいは恐れているのは何だろうか。詰まるところ、彼らにとっての「普通」が、社会的に普通ではないことになり、自分たちの方が「異常」であるという烙印を押されることを恐れているのではないか。

トモの母ヒロミ(美村里江)は、リンコから「トモの母親になりたい」と言われて、「女でも母親でもないくせに」と突っぱねる。「~のくせに」という言葉は、自分を正当化できない時の常套句だ。子どもを置いて何か月も家を離れることは、正当化しようがない。だから「女であること」「母親であること」で正当化しようとする。

ホモフォビア・トランスフォビアの言い分も、基本的にヒロミと同じだ。
自然の摂理に反するとか、宗教上の理由で許されないとか、マジョリティの権利を侵害するとか、主語を大きくして反発するが、本心はただ単に、彼らの基準で「異常」と判断しているに過ぎない。そしてその基準は、「見た目が変わっている」とか「生理的に受け付けない」とか、取るに足らない理由なのである。

アメリカでは「ゲイと言ってはいけない法」によって、(10歳以下の)子どもにLGBTについて教えてはいけない州がある。しかし、本作のケイのように、早くから自分の性的指向に気づいている子どももいる。
本作では、早期の性教育を推奨しているようだ。リンコは自分の性転換手術について隠すことなく、チンコの"再利用"まで具体的に教えている。そして、108本のチンコを編み上げて、供養する手伝いをさせるが、これも立派な教育であろう。
トモが大小のチンコを取り上げては「これくらい?」と聞いたり、三人でチンコを投げ合ったりするシーンは、本作のハイライトだ。最後に海辺で燃やすチンコの供養塔は、なかなかに芸術的なオブジェで、アーティスト大川友希の「柔らかい彫刻」を彷彿とさせる。

トモは最後に、母親のもとに帰っていくが、必ずしも母親を好きだからとか、許したからではないだろう。親に捨てられることは、自分の存在を否定されることだ。その絶対的な"優位性"があるから、ヒロミはコンビニおにぎりばかり買い与え、家を空けてもどこかで安心をしている。
しかしそれは親のエゴであって、必ずしも「血は水よりも濃い」ことを意味しない。
自殺未遂をしたカイに、トモは「あんたのママは、たまに間違う」と言う。大人は間違うだけで、悪い人間ではないということを、子どもは知っている。それは同時に、大人の欺瞞は見透かされているということでもある。
トモが成長すれば、いずれ母親の方が捨てられることになるだろう。

もちろん、母親だからすべてを犠牲にしろとか、弱音を吐くなということではない。自分の人生を大事にしてもいいし、誰かを頼ってもいい。しかし、自身の優位性にあぐらをかいて、子どもの人生を犠牲にすべきではない。
自分で育てるのが難しいのであれば、子どもを手放す選択だってある。果たしてトモは、母親と暮らすべきなのか、マキオとリンコの養子になるのが幸福なのか。
プレゼントされた大きな偽乳が、その答えであるように思った。
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