ニャーすけ

彼らが本気で編むときは、のニャーすけのレビュー・感想・評価

彼らが本気で編むときは、(2017年製作の映画)
2.6
荻上直子の映画はこれまで一本も観たことがなかったが、『チョコレートドーナツ』を彷彿する設定に興味を覚え鑑賞。
その作風から何かと揶揄されがちな荻上作品だが、少なくとも本作に関してはそんなに悪くないと思った。真境名ナツキさんというトランス女優の実体験を基にした、毛糸による「ニセ乳」や男性器というモチーフは下品になりそうでならない絶妙な塩梅だし、『リラックマとカオルさん』の脚本でも顕著だった荻上さんの独特なユーモアによって、物語全体が辛気臭くなっていないのも好印象。マキオ(桐谷健太)の母親が語る浮気性の夫への復讐や、50円玉を巧く使った演出など、エピソードの一つひとつも結構面白い。
社会的マイノリティが非当事者の監督や俳優によって描かれた作品は、得てしてその構造自体が搾取であると批判されるし、重箱の隅をつつこうと思えば幾らでもつつけるんだろうけど、「当事者による表層」は今後の課題であって、自分としてはもうすでに撮られてしまった作品を今日の基準で叩くことに終始したくない。ましてや自分はシスヘテロ男性に過ぎず、LGBT問題を当事者ヅラして偉そうに語る資格も無いのだし。

ただ、それでもどうしても引っかかる描写が一点あり、それはトランス女性であるリンコ(生田斗真)の差別や偏見に対する向き合い方。
彼女は、世間のトランスジェンダーへの無理解に傷ついたトモ(柿原りんか)に「何があっても我慢しなくちゃいけない。それでどうしようもなくムカつく気持ちは、編み物で発散させるの」と優しく言い聞かせる。実際にこういう考えを持つ当事者だっているのかもしれないが、映画というフィクションの登場人物に、個人の性的指向が原因の差別や偏見に対する「我慢」を推奨するような台詞を言わせるのはちょっとどうなのだろう。脚本上、リンコのこの思考は最後まで変わらないし、ある不愉快な出来事への怒りを堪えたトモを褒める描写もあるので、荻上さんがこの価値観を「善きこと」として描いているのは明白で、これはリンコという社会的マイノリティを(悪気は無いとしても)マジョリティにとって都合の良い存在に類型化する行為ではないか。『聲の形』の西宮さんが、結局最後まで自分を虐めた連中への怒りを露わにせず、むしろ自己嫌悪の思考に陥ってしまうという、作品を通して結局は健常者にとって都合の良い障害者像からまったく変化しなかったのと同種の「マイノリティへの上から目線」を感じたし、これは本作が「当事者による表層」ではないことよりも批判されるべきずっと深刻な問題だと思う。
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