つるばみ色の秋津凡夫

彼らが本気で編むときは、のつるばみ色の秋津凡夫のレビュー・感想・評価

彼らが本気で編むときは、(2017年製作の映画)
1.3
やりきれない気持ちを昇華する物語。

マキオを演ずる桐谷氏の棒読みの台詞や、ぎこちない表情が気になって仕方がなかった。
また家庭内でのだらしのない仕草や、リンコさんを抱き締めるシーンでは筋肉の強張りが感じられ、トモの強張りを解く馴染みやすい役柄として不適当である。

また、生々しい家庭・社会問題の上澄みのみ掬うかの如く陳腐で時代錯誤な表現の数々からは、偏見に対する偏見が見受けられ、時折挟み込まれるリンコさんの母親の無神経さをギャグとして見せられても嫌悪感しか抱かない。
自分もトモと同じ母子家庭で、大変な苦労を経験なさっているだろうに、娘のパートナーに対して「片親だからラッキー。」などという非常識な台詞が出てくるなどまずあり得ないだろう。
勿論、敢えてそういう態度であっけらかんと受け入れ昇華しているという表現だが、その演出意図を含めて下品極まりない。
それから、末尾での「姉さんを宜しく頼む。」という叔父の発言にも納得がいかない。
しっかりしていようとトモは子供だ。
何故これ以上、大人の態度・行動を背負わせるのだ。
どうして「いつでも遊びにおいで。」と言ってやれない。
監督の倫理観に疑問符が付く。

現実に子供が思い詰めて自殺する世に於いて、片付けられた部屋を映して締めとせず、理解無き人間に対して、どう向き合い行動していくのかを示す責任があるのではないか。
本気で編む事は大事だが、苦難に対する解決には繋がらない。
本作をトモやカイと同じ様にネグレクトやいじめの渦中にいる子供が観た時、四面楚歌の中で編み続ける孤独を是としかねない。
また、本来助けを求めるべき児童相談所の人間まで理解無き大人として描かれている為、現実的且つ効果的な解決法の全てを封じてしまっている。
これでは立ち向かったり、逃げたり、理解を得ようとする心を育む事など到底叶わない。
トモの様に強く優しい人間が臨界点に達した時、どうなるのか。
死を選ぶのだ。

某Webマガジンのインタビューにて荻上監督は、「自分が決めた道を歩んでいるのであれば、周囲が何と言おうがどうでもいいと思う。」「自分が選んだ道を進んでいる限り、私は誰に嫌われても平気なんです。」と語られている。
成る程、監督は理解なき人や物事に対して無頓着に生きてきたのだろう。
それは他者との連帯から掛け離れたものであるという事を知るべきだ。