このレビューはネタバレを含みます
「辛い過去と向き合うこと」をテーマにした映画は多い。乗り越えたり、赦されたりと様々だが、『マンチェスタ・バイ・ザ・シー』で用意されていたのは、そのどちらとも違う結論だった。
人間らしい感情に蓋をして生きてきたリーだが、思春期の甥パトリックと向き合うことで、否応なしに自分自身を見つめざるを得なくなる。リーが抱えている過去の出来事というのが、想像を遥かに超えたヘビーなものだったので、冗談ではなく本気で映画館から逃げたくなった。
こんな経験をしてしまったら、生きてはいけない。その後、元妻からの電話のシーンで涙が溢れ、最後まで涙が止まらなかった。つらい。つらすぎる。
甥のパトリックは、父親の喪失を乗り越える。愛情深い彼の父親は、彼に大切なものを残してくれた。相手を信じ、相手の気持ちに寄り添う力だ。
パトリックの父の死後、パトリックを迎えに行った帰り道。病院の駐車場に車を停めた後、リーは彼に「父親の遺体を見るか、家に帰るか」を選択させる。パトリックは「Le'ts just go.」と呟くのだが、それを「家に帰る」と勘違いしたリーはアクセルを踏む。パトリックは「(病院の中に)行くよ」という意味で言ったので、ドアを開けようとしてしまい、あわや!となる。焦ったリーとパトリックは言い合いになるのだが、結局パトリックが「I'm sorry. I mistuned the English Language!」と謝る。
まあ、この発言自体は嫌味っぽいともいえるのだが、パトリックは一事が万事この調子で、リーに対して反発したとしても、最終的には自分で納得して受け入れる。自分を捨てた母親のことも、自分の後見人になることに戸惑うリーのことも、恨まない。
彼には、自分に対する彼らの愛情を信じる強さがあるからだ。自分を心配する先生のことも、周りの友達のことも、信じている。そして、気持ちに寄り添うことができる。本当に強い子だ。
パトリックの父親の深い愛は、もちろん弟であるリーにも向けられていた。遺言も、そんな兄の愛情の証だった。リーだって愛情深くて強い人間なのだ。本当は。
でもね。無理なものは無理。
神の言葉も、元妻からの赦しも、甥への愛情も、死してなお痛いほど感じられる兄の思いやりも、隣人から差し伸べられた温かい手も。すべてがリーの心に光を与えてくれるけれど、それでも、無理。乗り越えるなんて、無理。
初めて感情露わにリーを求めるパトリックに対して、絞り出すようにリーは言う。「I can't beat it. I'm sorry」。でも、同じ「乗り越えられない」でも、以前とは違う。
リーがどれほど苦しみ、どれほど甥を愛し、どれほど考え抜いた末の「乗り越えられない」なのか、パトリックや周りの人は分かっているからだ。
抱えていた苦しみの大きさは変わらないけれど、真っ暗だった部屋の壁には窓があき、少しだけ外の景色が見えるようになったはず。リーはその窓から、苦しみを抱えている彼を優しく見守る人々の姿を見ることができるだろう。
登場人物の口数が少ないこともあり、セリフが非常に聞き取りやすく、そのせいもあって感情が揺さぶられまくってしまった。数時間が経過した今でも、涙が零れそうになる。素晴らしい映画をありがとう。