人の心のとらえ難さ
茶の道を極めた千利休と花僧として花を生けることで仏の道を説く池坊
そんなふたりは違う道を歩めども、通底では響き合う
信長公の前で、見事だと褒められる仕事をしたその場に居合わせた秀吉や前田利家、そして千利休。
数年後天下人となった秀吉は次第に疑心暗鬼となり、心は狭く硬くついには歪んでゆく…
圧政を敷く秀吉の狂気の刃は身近な人にまで及ぶ。
大らかで笑いがあって活気のあったまちの風情は失われていく、、、
これは過去の歴史を描いているようでいて、現代世界のどこか違うところで起きていることと全く無縁のことではないと思う。
茶の湯を通して、花の命を尊ぶことを通して、伝えたいことは、何か。
美しさの奥にある命を讃え敬う心、そしてそれを心ある人と分かち合いたいという願い、なのではないだろうか。
撮影に用いられた花たちは、どれもとても見事で、美しい。
でも、ひと際印象に残っているのは、利休の庵で見た投げ入れの花たちだった。
ひとつ目は、池坊をもてなした一輪の白い朝顔。
それが、池坊の創作意欲に再び火を付ける。
そして、もう一つは池坊が持参して生けた白梅の枝。
その時池坊が利休に問いかける言葉、その深さにジーンときてしまった。
ああ、この花は祈りなのだ。
その蕾に池坊の心からの願いが込められていると思うとたまらなくなった。
花戦さ、
その言葉の意味は最後に明かされる。
ラストシーンの秀吉との接見は狂言師らしい野村萬斎の演技で締め括られる。
侘び寂びの日本文化の奥深さ、それを語れるようになるにはまだまだ道は長いけれど、
私も何かひとつ、
それをもって戦えるほどの道を志したいと思った。