河

ダムネーション 天罰の河のレビュー・感想・評価

ダムネーション 天罰(1988年製作の映画)
4.0
変化の兆しもなく、努力したところでそれが変化に繋がるわけでもない繰り返しの日々を孤独に過ごす主人公がいて、その現実から逃避するように幻想を見るようになる。それが冒頭の単調に動いていく石炭のリフトからのそれをただただ見つめる主人公の後ろ姿のショットで示される。
主人公が他者との関係性、変化に踏み出せない理由は自分のことしか考えていないからで、他者と音楽に合わせて踊ることがそれと対置される。船が沈む中演奏し続けられていたっていうエピソードを元にしたんだろうタイタニックって名前のバーがあり、それが崩壊しつつある国家と重ね合わされる。そこに踊る人々が亡霊のように現れて消えることで、他者とそのように関われていた時代が過去になったことが示される。そこに1人でダンスの練習をしている若い頃の主人公が現れ、主人公が若い頃は他者との関係性を夢見て準備していたことがわかる。ただ、社会の変化によって主人公のその期待は老いた後も叶わない。さらに主人公は近くに住む人妻のストーカーで、その人妻との関係性を幻想として見る。現実にはその人妻は主人公を拒否する一方でバーの店主とは関係性を持つ。主人公にとってなりたくない姿、絶望を表す姿として雨の中に歩く野犬がいる。主人公は警察に人妻やバーの店主含めた自分の周囲の人々を告発する、自分の中で幻想と共に殺すことによって、その野犬のような存在に成り下がる、もしくはその野犬に表される絶望を克服する。
ダンスのシークエンスで主人公の絶望もしくは現状の克服とタイタニック号としての主人公の生きる社会の崩壊が同時に、単調であり幻想的でもある美しさと共に現れるのが本当に良かった。
どこで何がなってるのかわからない音、全景の掴めない人含めて動かない風景があって、それを非常にゆっくり動くカメラが明かしていくっていうのが基本的な撮り方になっていて、そのゆっくりした動きによってすごく印象的な画が現れたりするし、それが主人公の変化の兆しの見えない繰り返しの生活、その現実から幻想に逃避した主観の反映になっていて、カメラの動いた先に何もないことが、起こると期待していたことが起こらなかったことの反映にもなっているような感覚がある。個人的にそれが合わなくて、そのカメラの動きがひたすら繰り返されるので、主人公を追体験させられてるとしても単調すぎてかなりしんどく感じた。また、カメラのある空間がほとんど変化しないため次に映るものがある程度予想できてしまうシーンが結構あって、さらにその通りのものが本当にゆっくり映ってくるのでその間普通に暇だった。ただ、この演出がずっと続いたからこそ、あの主人公の夢想だろうセックスシーンの非現実的な不気味さやダンスと1人ダンスのシーンの最高さがあったんだろうなとも思う。
音楽に合わせて踊ることが他者との結びつきのモチーフとして出てくるけど、『アウトサイダー』でも同じく踊ることが象徴的に出てきていて、アウトサイダーは社会的な役割に適合できないけどダンスはできている人の話で、この映画はそれもできない、より関係性として貧しくなった状態の話のように思った。それがアウトサイダーからの時間的な社会状況の変化とも対応しているようにも思う。
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