YasujiOshiba

太陽の蓋のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

太陽の蓋(2016年製作の映画)
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YTの無料公開を利用。23-25。アマプラにもあがっていたのだけど、ようやくキャッチアップ。あのときの話は見る気がしなかったのだけど、もう12年になるのかと、映画を見ながらいろいろ思いだす。

同僚のイタリア人たちも日本を離れた。ぼくも家族に春休みを前倒しさせて、故郷に帰させた。15日だった。枝野さんの会見を見ながら、もうだめだと思ったのだ。

故郷には親父が一人で暮らしていた。家もあった。まわりからは、なんだか大変そうだねという顔をされた。どこか人ごとだった。土地ならありますよと言われた。移住してくればよいじゃないですか。そんな感じだった。

逃げ出さなかった東京の友人は、奥さんが妊娠していた。心配だというので、故郷から水のペットボトルを箱で送った。みんなそうしてたみたいで、スーパーのペットボトルの棚は空っぽだった。

中学の娘は卒業式に出られなかった。小学校の娘は、担任からどうするんだという問い合わせが来た。あのときは原稿も落とした。書こうとしていたのだけれど、無理しないでという言葉にすがった。迷惑をかけた。

このときからだ。Twitterでいろんな情報通の人をフォローするようになったのは。新聞もやめた。欲しい情報がなかったからだ。反原発運動のサイトには情報がころがっていた。誰もが反原発にかたむくなかで、吉本隆明だけは、テクノロジーの自律性を語っていたはずだ。

物理的な現象として放射性物質について語る人を探した。あのころはほんとうに勉強した。ベクレルとかミリベクレルの概念がもうわからない。単位の大きさ、小ささの程度にまったくイメージがわかなかったのだ。

最終的に、腑に落ちたのは宮崎駿がアニメージュに連載した『ナウシカ』のなかの言葉。「その朝が来るなら私達はその朝にむかっていきよう」。その朝とは終末のこと。汚染された人間にたとえ最後のときがやってこようと、それを浄化しようなどとは思わない。汚染されたままで生きるしかない。だからナウシカは言う。「私達は血を吐きつつ、繰り返し繰り返しその朝を越えてとぶ鳥だ」。

この言葉を思い出せたおかげで、ぼくは新学期を東京に戻り、また生活を始めることができた。後で知ったことだけど、福島の原発事故は、映画に描かれているように、もっと悲惨なことになっていたかもしれない、そんな大変なものだった。しかしそれでも、たとえ「太陽の蓋」が開いていたとしても、ぼくには帰るほかなかったのだ。なぜか。

なぜなら、原発はどこにでもある。戦争だって起こる。Covide-19 のような感染症だって、人間のゆくところをどこまでもついてくる。だから逃げる場所なんてどこにもない。

ぼくらにできることは「その朝に向かって生きる」こと。たとえ血反吐を吐くことになろうとも、前に向かって進むこと。

ただ、それしかない。
YasujiOshiba

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