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田園に死すのkuuのレビュー・感想・評価

田園に死す(1974年製作の映画)
3.8
『田園に死す』
製作年1974年。上映時間102分。

寺山修司が監督・脚本を手がけ、自身の同名歌集を映画化した自伝的作品。
『十三人の刺客』などの菅貫太郎(って悪やく似合う俳優さんやったような)が主演を務め、隣家の妻を八千草薫が演じたって、他の出演者に高野浩幸は名前は何となく知ってる。
斎藤正治に、春川ますみ(暴れん坊将軍に出てたような)、新高恵子(可愛い女優さんやった)、三上寬(フォークの爺さんやったような)、原泉(ビー・バップハイスクールで中間徹の婆さん役やったかな)、蘭妖子、木村功、原田芳雄(ワイルドだせぇ)、粟津潔?。
とまぁ濃い演者ばかりでしかも、顔に白塗りしてて夢にでてきそうなインパクト。
あと、天井桟敷の面々。
志村けんはここから、バカ殿を編み出したと云ったら信じそうっす。

お話は
青森県・恐山のふもとの村。
少年時代の“私”は父を亡くし、古い家屋で母と2人で暮らしていた。
少年の唯一の楽しみは、イタコに父の霊を呼び出してもらい会話することだ。
隣家に嫁いできた美しい女性や村にやって来たサーカス団が、少年を家出の誘惑へと駆り立てる。
やがて上京した“私”は中年となり、1本の映画を撮る。
そんな“私”の前に、少年時代の自分が現れ。。。

今作品はハリウッドエンタメに慣れ親しむ小生には、面白いモノでは無かったが、ただ、胸の奥の、いや、身体全体を揺さぶる何かを感じる作品で、その何かを知るために、今後も何度と見たい作品の一つと感じてます。
今作品を観て、以前、愚小生が大切な人に詠み贈った愚詩をふと思い出しましたので、感想始に載せておきます。

『無題』
    kuuことGeorge
我を荼毘に付したる
杜鵑花の月
道の辺に咲き乱るる
白色、赤色、黄色に紫

闇の中
鵺鳴き響く
ヒヨーヒヨー
ヒヨーヒヨー
番目(つがひめ)何処の
方でしよか

小筒で射られりや痛かろ
逃げおおせ
なんせ逃げなんせ
火矢吹いたとて
なんせ逃げなんせ

黄赤色の羽交ひで
寅、巳、申、乾と変化して
千里の山を越え
逃げなんせ

焼け野に残る御敵が
残した形見熱を失くし
殻の中冷たい熱夜に
焦がれ憧れ
聲だけ追いかけて
ヒヨツヒヨツヒヨツ

我を荼毘に付したる
休廣忌
映山紅が仄かに馨ります
白色、赤色、黄色に紫

闇の中
鵺鳴いた
ヒョーヒョー
ヒョーヒョー
番目(つがひめ)誰の
雛でしょか

小筒で殺られりや痛かろ
逃げおおせ
なんせ逃げなんせ
火矢吹いたとて
なんせ逃げなんせ

我を荼毘に付した 
杜鵑花の月
道の辺に乱るる
白色、赤色、黄色に紫

闇の中
鵺鳴いた
ヒヨーヒヨー
ヒヨーヒヨー
番目(つがひめ)我の
ものでしょか

お粗末🙇‍♂️。

今作品は前衛的な演出家・寺山修司の戯曲と、彼の子供時代を詠んだ俳句をもとにした幻の名作と呼べるファンなら垂涎モン作品なんかな。
色彩豊かで、彼の過去への隠喩的な旅であり、完全な自伝的映画やないが(寺山とされる成長したキャラは本人が演じてへん)、寺山の主人公(クレジットでは『少年時代の僕』としている)は似たような人生の物語を持っている。
今作品が最初に取り組むテーマは、記憶の浮遊感かな。
幼い修二が墓地でかくれんぼをしているところから始まり、修二の遊び仲間が隠れ、墓石の向こうから修二の青春時代の知り合いが見えてくる。
ここで、自分も含めた過去の人々が、日本神話に登場する幽霊のように顔を白く塗っていることがわかる。
彼らは本当に、色あせた過去の亡霊。現代編では、大人の修二が自分の不完全な記憶について少し話す。
今作品は、戦後の日本の状況についても少し語っている。
彼の村は、日本を代表して、時間と伝統に縛られてて、修二の家には壊れた掛け時計があり、母ちゃんは直そうとはしない。
彼は手巻き時計を欲しがるが、母親はそれを拒否する(最後に童貞を失った後に手巻き時計を手に入れる)。
近くにある色とりどりのサーカスは、伝統をまったく気にしない現代社会を象徴している。
兵隊さんが寝泊まりする村の線路は、小さな修司がどうしても通いたい現代社会への道を表しているんやろな。
初期の記憶は無声映画のようにセピア色に塗られてる。
『怖い山』のような外の場所は濃い青か紫で塗られ、サーカスの場面は非常にカラフルで万華鏡のようなフィルターがかかってる。
物語があちこちに散らばり、短いヴィネットはしばしば寺山の俳句から始まり、過去と現在の断片が様々な形でぶつかり合うのは云うまでもない。
全く同じ場所のショットが別のフィルターで繰り返されたり、大きな扉や開口部から別の色の違う場所へとつながる『オズの魔法使い』風、表情豊かな色彩が随所に見られるなど、様々な工夫が凝らされています。
繰り返されるイメージは、般若の面、カラス、死んだ女学生、かかし、死んだ女学生のようなかかし、プラスチック製の風車のおもちゃ、時計、鏡...など。
これらのオブジェのほとんどは、寺山にとって個人的な意味を持つものであり、彼はそれらを劇や映画の中に挿入し続けたのである。
映画の舞台『恐山』は、火山地帯の石にカラフルなおもちゃの風車が取り付けられている。
この『恐山』はイタコとかで知られ実際に存在する。
火山活動によってできた穴がたくさんあり、その色合いと噴煙が特徴的。
この場所は、地獄の菩薩、子供の守護神である地蔵が守っていると言われている。
そのため、参拝者は地蔵の横に多くのお供え物(ぬいぐるみ)を捧げてきた。その多くは子供のおもちゃ(風車)、衣服、石などである。
他にも、山車に見立てた雛人形など、日本伝統文化にインスパイアされた部分がある。
今作品は美しい芸術作品であり、寺山の個人的な作品であり、記憶に残る映画の一つであることは間違いない。J・A・シーザーによる素晴らしいコーラス・サウンドトラックも特筆に価する。
日本じゃ三善晃の作曲による合唱曲の方が馴染みあるかな。
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