前半主人公は人の家庭に乗り込んで何をしたいのかがよく分からず、入り込めませんでしたが、中盤裸のキンスキーの哀れな顔が、冒頭の「これは食うためにやってる仕事なの、撮らないで」のロミー・シュナイダーと一致して、なんとなくどういう話なのかは理解できました。
という訳で、役者さんの顔は素晴らしかったのですが、同じく全員が強烈な負のベクトルを抱えていた「天使の影」なんかに比べると、何か矛盾を感じる映画でした。
劇中の汚れ仕事をやらされる女優を哀れむ時、どうしても作中の股間も丸見えで、全裸で這いずり回されていた無名の俳優のことを思い出して違和感を感じました。
キンスキーのように、自分では制御が効かないような過激な人間ならまだしも、客観的な目線から、過激な撮影も映画の醍醐味だと語るのはどうしても傲慢な感じがして受けつけません。これは世代の違いによる感じ方の差なのか知りませんが、芸術至上主義的な作風の肯定は、あくまでキンスキーのようなどうしようもなく狂気的な人間に与える赦しであって、冷静にするものではないように思いました。
イザベル・アジャーニからの批判を受けている時点で、ズラウスキーは狂気的な人というよりは、芸術のために人を利用するハラスメント気質が少なからずあったのではと想像してしまいます。例えばベルトルッチ的な。
やっぱり個人的には職人芸的にしっかり見せ場を計算して作られていたように思える「愛していると伝えて」の方に好感を持ちます。あっちの方が断然現場がホワイトそう笑