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パリ横断のukigumo09のレビュー・感想・評価

パリ横断(1956年製作の映画)
3.8
1956年のクロード・オータン=ララ監督作品。『肉体の悪魔(1947)』や『可愛い悪魔(1958)』等を撮ったオータン=ララ監督は、批評家時代のフランソワ・トリュフォーから痛烈に批判された監督の一人としても有名だ。そしてトリュフォーが最も忌み嫌っていたのがジャン・オーランシュとピエール・ボストの脚本家コンビであり、フランス映画の「良質の伝統」を受け継ぐ「心理的リアリズム」と呼ばれる作風を頭ごなしに唾棄していた。そして本作はこのオーランシュ=ボストコンビによる脚本で、監督がオータン=ララというトリュフォーにとっては最悪な組み合わせなのだけれど、かなり例外的に正当に評価しているのが興味深い。後にトリュフォー自身、ナチス占領下のパリを舞台とした『終電車(1980)』を撮ることになるのだからこの時代に特別な思い入れがあるのは間違いないだろう。

ナチス・ドイツ占領下のパリで、失業した元タクシー運転手マルタン(プールヴィル)は豚肉を運ぶ闇市の仕事をしていた。大きなバッグ4つに分けられた100キログラムほどの豚肉を、パリの端から端まで運ばなければならないのだけれど、マルタンは相方が逮捕されてしまったので仕事仲間を探していた。マルタンが妻とカフェにいる時に、グランジル(ジャン・ギャバン)が入ってくる。マルタンのちょっとした勘違いで、妻とグランジルは密通していると思い込んだマルタンは、自分の仕事中に妻と密会させないようにグランジルを豚肉運びのパートナーにするのだった。

肉屋ジャンビエを演じるのが後に喜劇映画で大活躍するルイ・ド・フュネス。本作では少ない出番だけれど、値段のやり取りでギャバンとの怒鳴り合いながらいつの間にか屈伏してしまうユーモラスなシーンと作り上げている。

序盤の肉屋の地下での屠畜のシーンも絶品だ。当然肉があるなどと公にしていないので、床の板を外し、ジャンビエ達は地下に降りていく。地下でこっそり捌いて、こっそり運ぶつもりだ。しかし地下とはいえ生きている豚を殺すのは、やはりこっそりするのは難しい。豚の存在を密告者やドイツ兵に知られたらどんなことになるか分かったものではない。そこでアコーディオンを抱えたマルタンが音楽を奏でて誤魔化そうというのだ。大人3人が包丁を持って豚を追いかけまわし、豚も殺されてなるものかと逃げまわる。そしてなんとか豚を仕留め、豚は断末魔の叫びを上げながら息絶える。その間マルタンはアコーディオンで軽快な音楽を演奏していて、命のやりとりをする画面との対位法で不思議な雰囲気を醸し出している。

物語のほとんどはパリの夜道をマルタンとグランジルが歩く場面なのだけれど、様々な障害(警察、ドイツ兵、腹を空かせた犬たち)を含めて、これがめっぽう面白い。神経質で小心者のマルタンと豪快なグランジルの掛け合いはベテラン漫才師のネタを見ているようだ。

そしてこの夜道が本当に暗い。夜が暗いのは当たり前なのだが、映画ではなんだかんだできちんとライトが当たっていたり、薄ぼんやりとした夜だったりすることが多い中、本作の夜は驚くほど暗い。灯火管制下の漆黒のパリを見事に画面に収めたジャック・ナットーによる撮影は一見の価値があるだろう。

本作は喜劇調ではあるがナチス占領下ということで、肉を運ぶというだけの単純なストーリーが最後までサスペンスを維持している。パリの市民からするとドイツ兵は恐怖や憎悪の対象なのだが、ここでのドイツ兵は、冒頭、駅の階段で「ラ・マルセイエーズ」を弾く盲目のバイオリン弾きにお金を恵んだり、グランジルの描いた絵画に理解を示したりと、フランス人の芸術性を擁護するような人間的な描き方をしているのが特徴的だ。

オータン=ララを毛嫌いしていたトリュフォーが唯一認めた『パリ横断』、そしてトリュフォー自身がこの時代を描いた『終電車』、これらを合わせて観るのも面白いだろう。『終電車』でモンマルトル劇場を切り盛りする女優役のカトリーヌ・ドヌーヴが買った、チェロのケースに入った生ハムが、『パリ横断』のマルタンたちが運んだものでは…などと夢想するのもまた一興である。
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