阪本嘉一好子

A Matter of Size(原題)の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

A Matter of Size(原題)(2009年製作の映画)
4.8
多分経験者でないかぎり、何度も何度も痩せようとした(している)人の気持ちはわからないだろう。傍観者は笑って楽しめるだろう。私も正直なところ、真夜中、ゲラゲラ笑いながらこの映画を見ていた。文化の違いから判断して、笑ってるわけじゃない。『力士はデブがなるもの。』という素人の発想を笑ったわけじゃない。主人公ヘッツエルHerzl( Itzik Cohen )が、物を拾うため相撲取りが四股を踏むような動作をしたから、笑い転げたのだ。日本のレストランの従業員まで『わあみて、相撲取り。。。』と囃し立てたのだ。主人公ヘッツエルにとってなんのことかよくわからず、ましてやこれが開眼につながった。ここから、新しい道が開けて、『痩せるための学校』に通わなくていいし、仕事に対する情熱(??)だけでなく、女性に対しても、熱心になる物や人を見つけたからだ。もし、この主人公ヘッツエルが、日本の学校にいたとしよう。明らかに、いじめにあっている? これが、自分の文化か、異文化で、こんなに違いが生まれるのだ。

それに、『肥満』という言葉は、医学、社会、教育などでかなりネガティブになっている、多分『相撲取り』の世界を除いては。ラムレ(Ramle)に住んでいるヘッツエルは体重を落とせない、ヨンキポーの断食の時を除いては。夜中起きてまで何かを食べたくなり、自分をコントロールできない。多かれ少なかれ、私たちも、食をコントロールできないことがある。ヘッツエルのコック(シェフ)の仕事も、顧客の『見栄えが悪い』が厨房に引っ込ませる理由になる。それに、鯨、呼ばわれされる。

確かに健康に良くないことは百も承知だが、肥満は病気でコロナ感染の誘因にもなっている。でも、肥満になる事情は人によって違う。肥満も薬の副作用より肥満になる場合もあり、一概に自己責任とは言えないだろう。というより、体型や外見で偏見の目で見ることが好きじゃないから、笑っていた私も笑えなくなってきた。

きたの、(Togo Igawa )日本レストランの店主が排水管工のアロン、地方紙のカメラマンサミ、ホモセクシャルをカムアウトしたギディも指導する。ヘッツエルはガールフレンドに相撲取りの修行のことを秘密にしておく。それ以上に相撲をしていないという。嘘を言われることで二度離婚をして苦労をしたガールフレンドに本当のことがいえなく1ヶ月がすぎてしまった。ギディだって、ゲイバーのバーテンダーとSNSで話しているだけで、会いに行けなかったが、相撲を始めたことで自分に自信が持てるようになり、彼に会いにバーに行ったわけだが。

この映画を見終わって、肥満だから、なにもかもが終わりじゃなくて、自分のやりたいことも見つかったし、人生における伴侶も見つけたり、母親との関係も円滑になったし、肥満仲間との関係も修復できたし、良いことが重なったようだ、『映画だから』というかもしれないが、肥満ということで、痩せることだけに集中していた時は、それしか見えない(痩せるクラブにかよう)が、それ以上のことが我々の人生に来ては消えているのである。何か来た時を逃さないで、それに、興味(相撲)を持っていくことがより大切だと思った。

日本食の店主きたのの言葉『シオニズム』が気になった。土俵、相撲の世界がシオニズムという?誰も入れないユダヤ人の世界、それが、相撲の世界と同じことだという解釈をした。だから、パレスチナ自治国と領土問題が絶えないし、相撲の伝統をどう守るかも論争になっているという意味か?良く理解していないかも。