すごくおもしろかった!
都市計画、町づくりに関心ある方、戦後の東京を観たい方にオススメ。
終戦翌年1946年に公開された20年後の東京の都市計画の概要。こんな東京にしたいと、都民へのプレゼンだった。(30分と見応えあり)
趣旨は、これだけ焼け野原になったんだから、ゼロから民主化された街を作ろう!世界に誇れる文化的、民主的な街にしよう!そのためには、私有地の提供をお願いします!が最後のオチだった。
戦後の東京の映像は痛ましく、焼け野原が広がる。道路脇にはバラックが連なり、車が砂ぼこりを上げて走っている。都電はごとごと動いている。
都市計画法の基本に沿って、東京が再建されようとする青写真(死語)に感動した。この通りになっているじゃない。1946年の20年後1966年は東京オリンピックが終わった翌々年。夢の超特急ひかり号も走り、目覚ましい復興を遂げ、景気もピークになっていた(ピークアウトしていた)。
コンセプトの「友愛」はアメリカの言葉を直訳したかのようで、今や日本語ではあまり使われていない。いかにGHQの意向を反映していたかがわかる。
「封建制度から民主化へ」とも使っていて、戦前は封建制度だったの??アメリカからはそう見られていたんだ。
江戸時代の城下町から発展したから。
都市計画法の概要そのもので、都市計画法はずいぶん後に改正されているから、戦前の旧法(民主化する以前)に則っている。そこに矛盾や問題は起こらないのかちょっと気になった。
とにかくこの計画に沿って今の東京があるかと思うと、感慨深い。
もちろん計画通りにはいかなかったことがある。
まず、工業地帯は文化都市東京とは相成らないがやむを得ずこのままにするとあった。しかし、中心地は東京の外、川崎や千葉へ移った。
とても画期的だと思ったのが、住宅を集積化する際に、そこに共同炊事場、洗濯場を作り、主婦を家事から解放するという案(労働力につなげたいんだと思った)。都市構造の中にコミュニティを再構築する計画なんて、すごく中央集権的で社会主義的ではあるけれど、「女性を家事から解放」という視点はいいなあと思った。
あとは、文教地区を四ヵ所作る案。本郷、大岡山、早稲田、三田。東大、東工大、早慶の周辺のみ。風俗を排除するために建築制限があっても、理想とした文教地区にはほど遠い。お茶の水~市ヶ谷を文教地区にしなかった謎。
道路の緑地化と舗道の広さも、狭い東京では妥協した部分がありそう。
高台(富裕層の邸宅地)は都が買い上げ公園にするという計画も、実現難しかったのでは。飛鳥山くらい?
全く触れられていないのが都市のゴミや廃棄物について。都市の資源の循環の概念はない。生産の概念のみ。
景観は緑化のみ。インフラの整備は別計画なのか、交通のみに触れられていた。
素晴らしい計画の最後が、「土地、土地、土地」の連呼だった🤣
これは私有地を提供してくださいのお願い映像だった。買収なのか、収用なのか、わからないけれど。
公有地は当時23区内16%。現在と比べたかったが、資料見つけられず。
こういうのすごく好きなので、めちゃめちゃ楽しめた。
東京には骨格があった。