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獣道のkuuのレビュー・感想・評価

獣道(2017年製作の映画)
3.7
『獣道』
映倫区分 R15+
製作年 2017年。上映時間 94分。
内田英治監督が、地方都市で周囲の大人たちに翻弄されながら生きる場所を探す若い男女の姿を、実話をベースに描いたブラックコメディ。
日本・イギリス合作やそうです。
愛衣役を伊藤沙莉(役に向き合う姿に役者魂に脱帽)、亮太役を須賀健太が演じるほか、お笑いコンビ『マテンロウ』のアントニー(素人ながら健闘しとった)、吉村界人(金髪ヤンキー似合ってた)らが脇を固める。

とある地方都市で生まれた愛衣は、信仰ジャンキーの母親によって宗教施設に入れられ、7年間世間から隔離された生活を送っていた。
教団が警察に摘発されたことにより、保護された愛衣は中学に通い始めるが、そこに彼女の居場所はなく、ドロップアウトした愛衣は、万引きと生活保護で生きるヤンキー一家や、サラリーマン家庭などを転々としながら、自分の居場所を必死に探していた。
愛衣に恋をし、愛衣の唯一の理解者である不良少年の亮太もまた自分の居場所を探していたが、やがて半グレたちの世界に居場所を見つけ、愛衣は風俗の世界に身を落とす。

一夫多妻素人洗脳占い師オヤジではなく、鹿の心臓を神と見なすカルトの指導者、激しい路上での乱闘で消火器を振り回すヘタレヤンキー、ホステスとして月光浴する一見無邪気なティーンエイジャー。
一見すると、今作品はかなり奇妙な邦画の特徴をすべて備えてた。
映画ジャケットやあらすじを読むと完全コメディかと勘違いしてしまうが、確かにそのままの部分はあるが、意外に本質は真剣に描いてたし好感が持てた。
(何よりも愛衣役を伊藤沙莉が愛らしくて、兄・オズワルド伊藤なら目をそらしたくなるやろけど)
予想される猥雑な内容や破天荒な完全没入撮影を避け(しかし突飛な衣装や猥雑キャラはあるが)、監督・脚本の内田英治監督が描く思春期の悩みは、この過渡期に受け入れられることやアイデンティティを模索することにあるんやと思う。
今作品ではナレーターの亮太(須賀健太)は、小さな町で暮らす若者たちの人生への入り口的役割。
亮太が語る波乱万丈のストーリーは、連続ドラマ並のボリュームがある。
愛衣は、宗教をコロコロ変える狂信者の母ちゃんもとで育ち、幼少期は宗教団体に預けられる。
しかし、ポリスの手入れで教団をでて転々とするが常に危険と不幸と隣り合わせな状況に陥る。
金髪ヘタレヤンキーのユージ(吉村界人)は、失業保険を受け取るヤクザもんの木田(でんでん)に憧れる日々を過ごす。
一方、ユージのマブダチで腕っぷしある健太(お笑い芸人・アントニー)は、愛に目覚めたことでヤクザ生活のリスクを考え直す。
こないな荒唐無稽な設定と登場人物の集合体から、今作品は園子温や長久允のような作品の折衷的な映像スタイルを示してるかのように思える。
しかし、内田監督と撮影監督の伊藤麻希は、予想以上に抑制されたアプローチをとり、スマートな演出と長時間の展開維持からユーモアを引き出していた。
白昼の海辺のリンチシーンとか、伊藤麻希はシーンを大きく静止して撮影し、不条理な出来事に乾いたユーモアを添えていた。
同様のアプローチは、今作品のドラマチックな場面にも適用されていました。
手持ちのシングルショットと、愛衣のヒールの音と悲痛な叫び声だけで構成されたミニマルな音風景が、悲惨な瞬間に向かって構築されている。
また、今作品ではアイデンティティについて考える際に、意外なほど冷静な感覚が見られる。
愛衣が伝説の尻軽女と紹介された瞬間から、彼女は複数のアイデンティティとセクシュアリティによって定義される。
家庭を転々としながら、彼女の外見、名前、態度はそれに応じて変化していく。
金髪で騒々しい愛衣が、同じように腰の座らないヤンキー仲間に囲まれ、時には同級生の家族の養女になり控えめで親切な愛衣となったり、母ちゃんが与えてくれない家族の感覚と愛情を必死に探していることは明らか見受けられる。
伊藤沙莉の演技は、彼女の外見的な性格の変化にもかかわらず、そのキャラに一貫性を与えている。
彼女の孤独や不幸は、数々の仮面の下に頻繁に顔を出し、隠すべき仮面がないときには、制限なく見せる。
そりゃ場数踏んだ現在は引っ張りだこになるわなぁ。
愛衣の絶え間ない変身の裏には、自律性と独立性、特に恋愛とジェンダーに関連した物語形式に対する疑問が横たわっていた。
亮太は今作品が自分の初恋の物語の心覚やと宣言しているが、彼と愛衣の間にはロマンスはおろか、長い交流さえもほとんどない。
亮太の語り手としての立場、つまり、愛衣がくつろげる場所を観てる側に伝え、些細な証拠にもかかわらず、その感情がお互いにあることを暗示する立場と相まって、愛の恋愛的自律性は問題となる。
このことは、今作品の女子キャラがどのように作られているかを考えることにつながる。
彼女たちのキャラ・アークは、周囲の男性の目的のためにあるのか、それとも男性キャラと同様の自己決定が与えられているんか。
恋人に復讐するために性的暴行を受ける女子キャラは、残念ながら前者のカテゴリーに入るが、愛衣の場合はもう少しグレーな答えになる。
もっとわかりやすいのはオデブ健太のキャラ展開で、彼はヤクザもんへの献身と、スキューバダイバーの麗華とのロマンチックな関係の間で悩んでて、彼は主人公の亮太やユージ(彼自身の成長は極めて急ぎ足ではあるものの、予想外に深い)よりもはるかに興味深い。
愛する人のために暴力団の残忍な生活を手放そうとする彼の葛藤や、麗華との関係は、アントニーとカンとの化学反応のおかげで、純粋に魅力的でした。
ただ、95分という上映時間の中で、健太と愛衣の物語が大きく分かれ、主人公が未発達のまま、全体の流れやトーンをしばしば乱しているのは残念かな。
今作品が、多くの視聴者に沿う内容かどうかはわからないが、ティーンエイジャーの生き様を描こうとしたのであれば、それなりのものでしかなく、スクリーンタイムにばらつきがあり、映画の焦点とキャラの成長を阻害している(特に亮太の場合)。
愛衣と亮太のラブストーリーを描こうとしたのなら、二人の相性が悪く、亮太のおっとりとした性格がその可能性を阻む(健太と麗華に軸足を置いていれば、この点では成功したかもしれない)。皮肉にも、全体としてのアイデンティティも混乱しているように見える。
ただ、セックスに満ちたヤンキーの物語は、ロマンポルノからインスピレーションを得ているようやけど、スタイルや解説の境界を押し広げることはほとんどしていない。
受容を追い求めて漂う主人公のように、今作品もまた、何らかの目標を求めているように見えるが、本来の目的とされるものには決して到達していないかな。
でもまぁ伊藤沙莉の役者魂を魅せられたし個人的には面白い作品でした。
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