海

ブレードランナー 2049の海のレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
-
光る箱がまだアナログ放送を映していたころ、深夜になると番組は終了していた。悪影響を及ぼすと謳われる対象がテレビからネットワークへと移り、アナログ放送がデジタル放送へと代わった今、24時間、光る箱の中では誰かが動き続け、語り続け、発信し続けている。夜中、通販番組で普通の住宅の普通の室内に煌々と電灯が照っているのを見ると、今すぐ向かいたくなる、紹介されている掃除機や宝石に代わりたくなる、なぜか、無性に。わたしには、肉体や生命について考えるよりも、それが持つ力、音楽や映像や色や味への執着について考える方が、余程とりとめなく、際限なく感じられる。形や生命の意味を集めて一つにすることは容易だ。平均的な顔、最大級の宗教、一本の映画に個々が付ける評価だって一つの全体になる。じゃあ恋い慕うものへの執着、忌み嫌うものへの執着、大抵は過去に起因するこれらの細かいことに、確固たる理由をこじ付けることで何が判り、それよりもあなたが、何をどんな言葉や仕草で表現するのか、それに使っている時間と力、記憶や感情の起こした細かく複雑な襞が、どんな答えを当て嵌められたところで平面に戻ることは不可能だと感じる。
望んで他者と接触する/花を買う
タイムカードを切る/傘を差さない
選択肢に入る/海にふれる
融ける/はぐれる
誰かに成り代わるという怪談、そしてその「誰か」が誰でもなくなったとき、「わたし」という個は消え、永遠に失われる。特別に煌いたり、誰かを刺したりするわけでもないわたしが、あなたからはぐれ、女からはぐれ、人間からはぐれ、命からはぐれるために、記憶が要る。悲しみが要り、よろこびが要り、怒りが要る。何が真実なのか明確にすることが、そんなにも大切でしょうか。愛が感情だとか意志だとか、そのひとを前にしてわたしは語れない。空っぽでいいの、肉体なんて容れ物に過ぎない、生きているか死んでいるかは、触れられるか触れられないかの違いだったはずなのに、今はそんなに簡単な話じゃなくなった。だったらわたしは空っぽでいい。雨が雪に変わる世界、いつだってはぐれているわたしの姿が、そこには在りました。
海