さすらい人

ブレードランナー 2049のさすらい人のレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
3.0
オリジナル『ブレードランナー』でロイ・バッティを演じ2019年に亡くなったルトガー・ハウアーが生前のインタビューで『2049』を次のように語っています。

「見た目は素晴らしいと思うけど、この映画が必要だったかどうかは分からない。本当に美しいものに対しては、そっとしておくべきだと思うんだ。掘り返すことなんてせず、別のものを作れば良い。30年以上前の栄光にすがる必要はないよ。『ブレードランナー』は単なるレプリカントに関する話ではなく、人間のあり方とは、を問いかけた作品なんだ。でも、『2049』の方は何を問いかけたいのかが不明瞭だった。キャラクターによって引っ張られているわけでもなく、そこにユーモアがあったわけでもない。愛もなく、魂もなかった。オリジナルへのリスペクトはあったね。でも、自分にとっては、それすら十分だったと思わないよ。うまくいきっこないって分かってたよ。でも、俺がどう思うかなんて重要なことじゃないと思うけどね。」

オリジナルと違って、『2049』には「物凄いものを観てしまった…」感が欠如している。オリジナルの、ハリソンとルトガーの恐怖と激痛に満ちた死闘を通して、生身の人間の「”生”そのもの」「命を燃やすこと」をリアルに剥き出しにしてしまう衝撃や、観客を容赦なく追い込みながら「最後まで運命に抗うこと」「今という瞬間を”生きる”ことの意味と価値」を否応なしに問い掛けてくる哲学的求心力がない。

本源的で永遠のテーマを核心に据え、力技で描き切ってみせたのがオリジナルの『ブレードランナー』の凄みであって、さらにそこには詩情の”美しさ”さえあった。『2049』はそうした崇高な領域に到達していない。高い美意識の独創性豊かな映像表現の数々だけでは、テーマ性の補完に十分ではない。

旧ファンに目配せしながらのシナリオは、特にデッカード登場シーン以降、破綻の粗が目立ち、現実世界への皮肉と批判である「手を汚さぬ無人遠隔攻撃」や「児童搾取」といった描写に良識は感じても取って付けたようで、むしろノイズとなってストーリーを冗長化させる。さらに、旧作の偉大なヴァンゲリス版サントラの影に怯え、ヴィルヌーヴが、既に長期間作曲に取り組んでいた盟友の天才作曲家ヨハン・ヨハンソンを方向性の違いを理由に土壇場で途中解任、巨匠ハンス・ジマーのチームを急遽招聘してスコアの修正、全面変更と迷走し、結果的に映像と音楽の有機的連携にも実質失敗している。
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