海

BU・SUの海のレビュー・感想・評価

BU・SU(1987年製作の映画)
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高3の文化祭、人生で初めてステージに立って歌ったときのことを思い出していた。今はもうほとんど弾くことのなくなったギターをあのときは命みたいに必死で抱えて、今はもうあんまり聴かなくなったアーティストの歌をあのときは歌いたくて歌った。MCを入れようかと先生たちと話してたけど、結局なにも思い付かなくて、自分が思っていることを上手く喋れるとも思えなかったから、曲の合間に「つぎは、ブルーハーツで、青空」くらいのことをぼそぼそ言って、あとはずっと歌ってた。みんなにどう聴こえてたかとか、どう思われてたかは、意外に気にならなくて、ただ、自分がそこで歌を歌った、いつも教室で歌い出したくなっていた歌を歌った、ってことが、なんか不思議で胸がいっぱいだった。友だちは泣いてくれた。人の歌で泣いたのは初めてと言ってくれた。わたしには絶対挨拶をしなかった後輩の子が、その日は頭を下げて道を譲ってくれた。一緒にバンドやった先生は、卒業式の日、挨拶に行った職員室の前で、わたしの手をぎゅっと握ってなかなか離してくれなかった。つづけてね音楽。そう言われたかもしれない。今は弾いて歌うことより、聴くことのほうが多いかもしれないよ先生。ひとの期待をうらぎることが怖くて、その時間の中に永遠にとどまっていられたらいいのにと思って泣いた日もあったけどいつのまにか、こんなに遠くまできていた。教室にいるっていいね、って言うお姉さんの言葉が、今の自分にはわかりすぎて泣きたかった。教室の黒板、窓、椅子と机の並んでいる感じ、あそこで夕方を待ってた。楽しかったとは言えないし本音で語り合えた友だちも居なかったかもしれない三年間の生活が、どんなに特別な時間だったか今はわかる。先生たちは、教室に通うために、教職に就きたいと思うのかもしれない。わたしはいつも戦いたかった。戦って勝ちたかった。自分の価値を、軽んじたりしたくなかったし、友だちや大人の笑えない冗談に愛想笑い浮かべたりしたくなかった。くちびるを噛んでうつむいている自分の機嫌を取ることもせず、ぐちゃぐちゃのまま狭い部屋に放たれるけものたち。それがわたしたちだった。おとなになりたくなかったな。頭の下げかたも、面白くないときの笑いかたも知りたくなかったな。きれいになりたくなかったな。飼いならしたくなかったな。まだ戦いたい。戦って勝ちたい。次いつステージに立てるかなんてわからないけどあのとき、このまま歌を辞めてもいいやと思った。何でかはわからない。先生が授業を一時間潰してわたしの知らない生徒の話をした日のことを覚えている。先生が泣いたことを覚えている。何だったのあれと誰かが言って教室に張り巡らされていた緊張の糸が切れた瞬間を覚えている。席を立つ子、笑いだす子、関係ねぇーとだるそうに言う子。この教室の中にいる子どもたちが、生きているということが、なによりも大人の希望なのだとあのとき強く思った。この子たちが、どんな子であっても、死から遠いところにいればそれだけが大人が子どもに望むものなのだと思った。先生。わたしはいきます。歌を辞めても、歌を続けます。わたしは終わっていない。わたしはいきます、先生。
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