システムが介入することで、家族が離れ離れに、なってしまうことを描いた「万引き家族」、格差社会をエンターテイメントとして昇華させ、オスカーまで取ってしまった怪物「パラサイト」、そして今作は社会福祉から漏れてしまった人々を描いています。
この様な作品達が16.18.19年のパルムドールであり、同時代に生まれた事を私たちはもっと考えないといけない。恐らく作家はシステムを暴いてやろうなどの動機では、作っていない、描かざる得なかっただけだと思います。
芸術(今回は映画ですが)は体制やシステムに対抗できる素晴らしい武器の1つだと私は思います。2009年、村上春樹のエルサレムでのスピーチ「卵と壁」を思い出します。
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」
壁がどんな正しかろうとも、その卵がどんな間違っていようとも、私たちの立ち位置は常に卵の側にあるべきです。何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。