きゃんちょめ

マリアンヌのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

マリアンヌ(2016年製作の映画)
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【『マリアンヌ(原題:Allied)』について】

「恋愛は自分と同じ考え方の人とやる方がうまくいく」とか言う人がいるが、そこでうまく行っているものは、「恋愛」の定義からして恋愛ではないと思う。同じ考え方の人などそもそもひとりもいないから、という理由だけで私がそう言っているのではなく、そこでうまくいっているものは単なる「利害の偶然の一致」に過ぎないからそう言っているのである。利害が不一致でも結託できる連帯(alliance)でなければ「恋愛」とは言えないし、利害の偶然の一致によって成り立つ連帯は利害の偶然の不一致によって瞬時に崩壊するから、恋愛ではないように思われる。たとえば、相手が偶然にもイケメンだから付き合っているという人は、その相手が偶然にも交通事故にあって顔の一部がもげてしまった場合に付き合う理由を失う。また、たとえば、相手が偶然にも金持ちだから付き合っているという人は、その相手の会社が偶然にも倒産すれば付き合う理由を失う。激動の時代であればあるほど、たとえ何が起きても相手を愛するという真の連帯は強く要求される。

『マリアンヌ(原題はAllied)』という映画はまさしくこのことを語りたいかのように見える。利害関係を超えた連帯しか真の連帯とは言えないということを、である。相手は連合国側なのか同盟国側なのか、あるいは相手が自国にとって有益な情報を持っているのかどうか、といったことから結びつく連帯は偽の連帯であって真の連帯とは言えないということが、人を手玉に取るのに長けたこの女にとって、むしろ誤算だったのだろう。彼女は嘘をつくことに慣れすぎていたように見える。彼女は偽の連帯だけで窮地を切り抜けるのがうますぎたのである。

しかし、相手に恋をして、結婚し、相手の子どもを産むということは、祖国を捨てるか、あるいは自分の生命を捨てるか、ということを含意せざるをえなかったのだ。だから、彼女は祖国を捨てられず、スパイとして最後まで自分の職務を全うして情報を自国に流したのだから、死なねばならなかった(相手を愛さずともなんとかこの仕事をやり遂げられるはずだと考えて、この仕事を引き受けてしまったことが彼女の最大の誤算であったように思われる。出産や共同生活やセックスはそれほど甘いものではない。本気で愛していなければすぐにスパイだとバレてしまうだろう。そして敵国人を本気で愛するということが要求してくるのは、祖国を裏切るか、自分が死ぬか、そのどちらかだけから選ぶことなのである)。


感情レベルで和んだ雰囲気を作り出して相手を騙すということに長けたマリアンヌでさえ、真の恋愛を偽の連帯(=利害打算)だけでやり通すことはできなかったのである。彼女は劇中で「自分は演技をしていない」と豪語するほどに演技に長けた女、感情の扱いに長けた女であったが、それゆえにこそ恋愛というものの危険度を見誤ったともいえる。

実は、人が恋愛を試しているのではなく、恋愛が人を試しているのである。真の恋愛関係に人の打算は耐えられないのだ。人が恋愛するかどうかを選んでいるのではなく、恋愛が人にそれに値するようになることを要求するのだ。

彼女は敵国人との恋愛に踏み切る際、そのことの危険度を見誤った、とも言えるが、また同時に、彼女は真の恋愛によって、その資格があると選ばれた女だった、と言うこともできる。やはり、人が、適切な恋愛というものを選んでいるのではなく、恋愛というものが、適切な人を選んでいるのである。彼女は優秀なスパイである以前に、人を愛することができる人であった。恋愛に選ばれた人であった。彼女は自国を裏切ることもしなかったし、敵国人を愛し切ることにも成功しているのだ。つまりは、完全に利害が対立しているものを愛したのだ。

この映画は、恋愛というものが人に要求する覚悟(=「君は相手のために祖国を捨てられるか、さもなくば自己の生命を捨てられるか」という問いによって表現される覚悟)の大きさを思い知らせてくれる映画だと思う。



【主人公の名前が最後まで分からない映像作品リスト】

①『毛皮のヴィーナス』
②『マリアンヌ』
③『ドライブ』
④『ファイトクラブ』
⑤『四畳半神話大系』

→他にも知ってるものあれば教えてください。
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