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フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ/欲望の航路のSPNminacoのレビュー・感想・評価

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アデル・エグザルコプロスがLCC客室乗務員の『そんなの気にしない』をちょっとだけ思い出す、若い女のオデッセイ&お仕事映画。世界中を回る貨物船の機関士マリアは、陸にラブラブな恋人、海では腐れ縁の船長(メルヴィル・プポー)の間を流れるように泳ぐ。したくなったらするし、したくない時はしないマリアは主体的だ。でも、コントロールしてるつもりの自分も船も事故が起きてしまう。
ジャン・ギャバン船長が陸の妻を顧みず浮気して破滅する『曳き船』という古いフランス映画があったけど、時代が変わって女がその立場ならどうなるか。そこで少々亡霊めいた暗示となるのが、日記を残して急死した前任者の件だ。愛を知らぬまま海に消えてしまった男と、海で浮気した結果本当の愛を知る女。陸で待つ恋人が可哀想なのは一緒だし、海と陸が両立しにくいのも変わらない。それでも女は1人、航海を続ける。報いを受けるのは、本当の愛を知ろうとしない男のほうだ(プポー船長は死んだ男と同じように、自らそれを選んだかもしれないと思われる)。
男だらけの船で仲間との関係はおおむね良好、仕事を評価されて昇進もできる。停泊地では男の同僚だけでなくマリアにも現地の男が充てがわれたりもする。長く寂しい海上生活で楽しみといえばそれしかないのかね?という気はするけども、マリアも船長と同じように部下をはけ口にしちゃう。昔ながらホモソーシャルな職場の連帯感、家族意識みたいなものは良くも悪くも根強い。マリアが陸の恋人(アーティストだ)に求めるものはそれと違う意味の安心感だろうけど、結局海の家族とは離れられないんだよね。
但し女は酷いセクハラを受けることもあるし、多国籍な労働者は雇用先の会社に都合よく見捨てられてしまうのも確か。色んな状況で、男とは似て非なるマリアの折り合いの付け方が細かく見て取れるのが面白い。待つ側の男もまた然り。「たまには見送られたい」と言うアンデルシュ・ダニエルセン・リー(ヨアキム・トリアー作品常連)が良かった。
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