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LOGAN ローガンのペジオのレビュー・感想・評価

LOGAN ローガン(2017年製作の映画)
4.0
「…はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。」

X-MENシリーズとは叙事詩であった
「叙事詩」を一応wikiで調べると「民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるもの」らしい
語り伝える「価値のある」…

新旧ともに三部作として一応の完結を迎えているこのシリーズは世界を身代金とするようないわば「大きな物語」であったが、それを語り終えた時我々が「語るに足る物語」とは何が残されているだろうか?
物語を読み終えた時いつも思うのが、「この登場人物はこの後どうなるのだろう?」という疑問である
当たり前だが物語が終わっても彼らの人生は続くし、その人生は我々がそうである様に「いつまでも幸せに」なんて一言で済ませられるものである筈が無い
世界にとっては「価値の無い」のかもしれないが、個人にとっては大切なそれぞれの「人生」……
「産まれて」、「生きて」、そして「死ぬ」…たったそれだけの…それでいてこの上なく見事な三幕構成で語られる「小さな小さな物語」

生きるためにひっそりリムジン運転手なんてやってるやさぐれローガン(フェンスを突破できないリムジンがローガンの弱体化の象徴の様に見えた)や、壊れたトランジスタラジオみたいなボケ老人のチャールズの姿はシリーズを一気観したせいもあって衝撃的
このキャラクター造形やR15指定を存分に生かした残虐描写は映画の掴みとしても「今までのX-MENシリーズとは違いますよ」という宣言の様で効果的だったと思う
(未公開シーンではジーン・グレイやセイバー・トゥースの名前が出ていた。音声解説でも明言はされていなかったがココをカットする事で過去のシリーズと切り離した単体の映画にしようという意図があったのだろうか。)

「25年新たなミュータントは生まれていない」という背景や少女を有るかどうかもわからない楽園へと連れていくストーリーからは「トゥモロー・ワールド」を、「コミックは事実を基にした創作」という設定(コレのおかげでこのシリーズの色々整合性の会わない部分も幾分かは納得できる。)からは「許されざる者(勿論イーストウッド版)」を思い出す
特に西部劇の影響は色濃く、これまでのシリーズで描かれていた「ミュータントの時代」の黄昏が、所謂「古き良き開拓時代への挽歌」としての西部劇とシンクロするように語られているのは素直に嬉しい

ローガンとローラの「親から子への継承」というテーマと線対称な、ザンダー・ライスとX-24の関係が妙に印象に残った
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