QTaka

サバービコン 仮面を被った街のQTakaのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

舞台は、1950年代、アメリカの閑静な郊外の住宅地。
私などにはもうおなじみの風景で、子どもの頃から慣れ親しんだそれであります。
戦後10年、東西冷戦下とは言いながら、平和な時代、テロも銃乱射も無い。
表向きは、幸せしかない、アメリカが一番輝いていた時代かもしれない。
海の向こうでは、まだ戦争をしていたのだろうけれど。
この時代よりやや進んだ頃の事だけど、アメリカのホームドラマが日本のお茶の間で多く見られるようになった。
主に1965年以降の事のようだけどね。
『奥様は魔女』とか『じゃじゃ馬億万長者』とかね。
これらのドラマには、郊外の、庭付きの一戸建てが建ち並ぶ住宅街が登場していた。通りに面した庭と、大きなガレージ、そしてあのバカでかい車。
毎週日曜日の朝に、これらのドラマを見ていると、ずいぶん憧れたのを覚えている。

監督ジョージ・クルーニーが、この舞台設定についてこんな言葉を残している。
「閑静な町には雇用もあり、そこで家族を作れるようになった。ただこれには“白人であれば”、という条件があった」
あ〜、そういえば、あのホームドラマに黒人がネクタイを締めスーツを着て出てきた事が有っただろうか?
「なるほど、そういう事だったのか」と思わされ、騙されていたと言う思いにすら至るのが残念だ。

描かれているストーリーは、大きく二つの流れが有る。
一つは、マイノリティ問題。
黒人一家が街に引っ越してくる事から始まる、白人コミュニティーの混乱と反発、そして暴動ともいえる集団暴力。
もう一つは、計画殺人と保険金詐欺、そして家族崩壊。
一見幸せな家族風景が、隠された軋轢がとんでもない計画に発展し、破綻して行く。
いずれの流れにも救いは無いのだが、そこは必ず来るであろう未来への希望がちょっとだけ残されている。
そんな流れと結末。

この映画の構成として、喧騒と暴力の影で、陰惨な計画が進行し、破綻して行くと言う流れが有る。
『喧騒と暴力』は、今、彼の国が、その指導者の元で、日々の報道の中で見せている体たらくと並べてみる事ができる。
非難し、主張し、ぶつかり合う。
決して、互いを認める事は無く、分断されて行く社会が、かつての公民権運動以前の状況に戻ろうかという勢いすら感じる。
その騒ぎの最中で、隣の家で起こった陰惨な事件。
それは、今の彼の国の分断されて行く社会の中で、何かが起こっている事を示唆しているようにも思える。
いったい何が起こっているのかは、当の国民達の問題なのだけれど、はたしてどうなのだろう?

映画の終わりに、
暴徒達に襲撃された一夜が明けて、黒人一家の子どもが。
陰惨な殺人事件で両親が、伯父さんが、殺された一夜が明けて、たった一人生き残った白人の子どもが。
いつもの朝のように、お互い、グローブを持ち、キャッチボールを始める。
暴徒も、殺人者も、既にそこにはおらず。
明日を担う子どもだけがそこにいるのが、あるいは明日への光なのかもしれない。
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