フェミ研ゼミ

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャーのフェミ研ゼミのレビュー・感想・評価

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お気に入りのパーカーを着て、ホットドリンクを飲んでも暑くもなく寒くもない、快適な秋になったら、平日の昼にどこかのカフェに入りたい。
喫茶店よりカフェがいい。何となくいつもここに居ない者同士が集まりそうだから。
仕事しながらカプチーノを飲む振りをして、
隣の人たちの会話を聞いたりガラス張り向こうで待ち合わせをする人たちをみていたい。
よくわかんないキレイなこととか面白いことが見られそうな気がするし、
そんなことをパソコンで仕事をする振りして書き留めたりしたい。
そんでだんたん自分が一人なのがさみくなって映画館かタワーレコードにでも行きたくなりたい。
そんな風に秋の時間をぼーっと過ごしたくなる映画だった。



「ライ麦畑でつかまえて」を読み終えたことがない。
何度も読み始めるのだが、翻訳のせいか、
主人公のホールデンの口語がしっくりこないのか。
分からないけれど、いつも物語が始まる前に前に進めなくなってしまう。
ホールデンについて歩いているこのページがどこにつながってそもそも何のために進むのか分からなくなってしまい立ち止まる。そんな感じ。

覚えているのは、ホールデンが訪れた誰かの部屋に暖炉があったような。
そんなことだけ。

生きる時代も文化も国だって違うからなのか
「ライ麦畑でつかまえて」を読むときに作者がどんな人なのか考えたことがなかった。
江國香織を読みときは、おしゃれな心は外国人でも日本人のうっとりするポイントを知ってるロマンチックおばさんが書いてるとか、
森博嗣は、相当な変人で、でも人に合わせる常識ももっている殻の中身は風変わりなおじさんが。
とかそんな風に
この物語は、物語の向こうの人が体験したことなんだろうかとか色々と想像してる。

だから、タイトルと主人公の名前しかしらない有名な物語をどんな人が書いたのか知ることができたらもしかしたら、今度こそ読み進められるんじゃないかな。って淡い期待で映画を借りた。


あらすじで知る限るの「ライ麦畑でつかまえて」から考えれば、
映画の前半のサリンジャーはイメージ通りだったと思う。
まあこれまで想像もしたことすらなかったけど。
でも映画の後半から私のイメージがずいぶんと変わってしまった。
「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルそのものの解釈が変わった。
思春期特有の見てるのも恥ずかしいような痛い感じだったのに、
ホールデンはそんなんじゃなかった。
でも多分周りにはそんな風に思われていたんじゃないか。
学校や家が居心地が悪いとかそんな程度のことじゃなくて、この時代そのものが苦しかったんじゃないのだろうか。って思えてきた。
主人公の彼がどこに行きたいのか、何のために進むのか分からないから進めないってはじめにいったけど、
分からなくていいんじゃないかと思えた。

10月の頭に1週間入院をする。
その時どうやって過ごそうか考えていたけど、
サンリンジャーとホールデンに、行けるところまでついて行ってみようと決めた。
退院することには大分秋らしくなってるといいな。と思う。
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