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アリータ:バトル・エンジェルのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

天空に浮かぶ都市と、そこから垂れ流される廃棄物で荒廃する下界の町。あるときサイバー医師のイドが、堆積したクズ鉄の中からサイボーグの少女の頭部を発見し、機械の身体を与え、アリータと名づけて共に暮らし始める。その少女は、壮大な歴史が生み出したある秘密を持っていた…。

ハリウッドが日本の人気漫画を実写化したと公開時に話題になったが、その頃CG満載の映画に食傷気味だったため、初めての鑑賞。
原作漫画は未読だが、作り込んだ世界観は素晴らしいSFアクションの佳作である。

舞台は没落戦争から300年後の荒廃した世界で、地表の「アイアン・シティ」の上には天空都市の桃源郷「ザレム」が存在している。
この世界観の作り込みが見事。

SFの名作「ブレードランナー」はアジアと西洋建築の融合だったが、本作も見事なごった煮感のある世界。
キリスト教圏とは違う、中東やインドの歴史的建造物にジャンクパーツの電化製品で飾り立てたような世界だ。

下界が天上界のゴミ捨て場という格差社会批判も分かりやすくハリウッド好み。
クズ鉄の街に住む人種も多種多様、しかも機械と身体が融合したサイボーグが当たり前に通りを闊歩する。
ポリコレ対策や多様性どころか、人間と機械の壁さえない。
人々は皆貧しく、誰もが天上のザレムに行きたいと願っているが、ザレムへ行く方法は2つしかない。
それは大金を稼ぐか、ローラーボールという危険な競技でチャンプになること。
街の人々は金のためなら危険も犯罪も厭わない。
貧しい人々が夢を掴もうとするのもアメリカン・ドリームのようでハリウッド好みだ。
主人公アリータはイドを危険から救おうとして戦闘の才能を発揮、同時に記憶も一部甦る。
彼女を記憶を取り戻すべく、戦闘能力を活かしてローラーボール出場を目指すようになる。

世界観が良く出来ているのは、原作の力によるものだろうか?
そうでなければ目の肥えた日本の漫画界でロングランヒットの人気漫画となれるはずもない。

主人公アリータは、脳を除く全身が機械のサイボーグ少女。
記憶を失っていたが、彼女がやたら強いのは実は300年前の格闘術を体得した最強兵器だったからだと分かってくる。
ザレムの支配者に操られた町を支配するボス・ベクターから狙われたアリータは、大切な仲間を守るため、次々に放たれる強敵との戦いに臨むことになる。
漫画の世界なら強敵また強敵と次々と敵が現れることだろう。

人ではない人型の女性が自分の未来を切り開く為に戦う訳だが、「戦う女性」を主人公にとは、まさに製作に携わったジェームズ・キャメロン監督の好みそうな設定で、女性が活躍する物語も今どき。

アリータを拾った医師イドとの擬似家族関係や仲間たちとの友情は機械と人間の共存、アリータと恋人と若者ヒューゴとの恋愛は異人種間や異民族の和解や恋愛の隠喩か?
イドが「もう直してやらないぞ!」と叫ぶとサイボーグの乱闘がピタリと止んだり、「私の心をあげるわ」と文字通りに胸から心臓パーツを取り出すギャグには笑った。

日本漫画原作でありながら、どこまでもアメリカ人好みな物語が展開する。
バトルでのCGの強みを活かした重力無視のアクションは華麗だ。
人間ではあり得ない動きなのだが「サイボーグなので」と割り切れば気にはならない。
カンフーや体術で敵を薙ぎ倒すアリータは未来の格闘家のようで新鮮。
ローラーボールはアメリカ人好みのスタジアムでのスポーツだし、敵は身体が機械で簡単には死なないから「いいぞ!もっとやれー!」とゲーム感覚で応援したくなる。
ジェームズ・カーン主演のカルトな近未来SF作「ローラーボール」(1975年)を思い出すが、人間同士の殺し合いよりは圧倒的に罪悪感が少ないからだろう。

クライマックスではアリータは念願のローラーボール出場よりも、結局は愛するヒューゴのピンチに彼を助けに行く。
夢よりも愛の方が大切だというのも、ヒーロー映画のような展開。

金を積んでもザレムには行けず、全てベクターに騙されてると知ったヒューゴが追っ手に襲われ重症。
彼はロボットの体に移植され、ロボットの体でザレムに向かうも敵の罠に陥りアリータの助けも虚しく死亡。

アリータはヒューゴを騙したベクターに復讐を果たしたが、本当の黒幕はザレムの支配者ノヴァだった。
ローラーボールのチャンプになろうとするレースで、アリータがノヴァに向けて宣戦布告するところで映画は終わる。

難点は2つある。
個人の好みかもしれないが、一つは登場人物の中でアリータだけが「アニメ顔」だということ。
表情も豊かで、演じる女優の顔を細かくモーションキャプチャーで再現している。
CG越しでも喜怒哀楽の感情は伝わってくる。
恐らく原作漫画の絵に近づけたリスペクトだと思うのだが、眼が大きくて顎がシャープすぎの明らかに人間ではないと分かる顔立ちにどうしても感情移入出来なかった。
人種(サイボーグ)差別だと言われてしまいそうだが、感情の揺らぎという人の心を揺さぶるリアリティはCGに頼って良いものか?
個人的には他に表現方法はなかったか?と疑問である。
漫画なら大きく誇張された瞳の登場人物を自然に受け入れられるが、実写では違和感を感じてしまう。

もう一つの難点は、あまりにもアリータが好戦的だということだろう。
いくら記憶喪失とはいえ、自分がキリングマシーンであることを知ったなら、その罪の深さに怯えるものだ。
「ジェイソン・ボーン」シリーズのように少なくとも葛藤があって然るべき。
大義のために戦っていたから、それほど罪を感じないのか?
父親代わりのイドの忠告など反抗期のように聞く耳を持たない。
もっと知りたい、強くなりたいと大戦で使われた最強ボディに繋いでくれと懇願する。
まるで、どこぞの戦闘民族のようである。
そこがちょっと女性の感性ではない気がする。

アリータ「ビギンズ」とでも言いだけな「続編に続く」という終わり方。
「戦いはこれからだ」と投げるのは、まるで少年ジャンプの打ち切り漫画のようだ。
製作陣が続編を視野に入れていることは明白だ。
だが、続編があろうがなかろうが日本の漫画とハリウッドイズムが融合した好例であることは確かである。
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