よしまる

アリー/ スター誕生のよしまるのネタバレレビュー・内容・結末

アリー/ スター誕生(2018年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

21世紀になって20年近くも経つというのに、アル中ヤク中のロックミュージシャンだとか、超上手いゲイバーの歌手が顔のせいで売れないとか、今の世の中ではあまりに非現実的な無理設定。
一方で恋に落ちていく描写、見つめ合い愛し合う二人の表情、ロマンポルノかと思うほど数分ごとに出てくる生々しいセックスシーンのリアリティたるや本当に凄まじい。
しかしこれ、日本でアイドルがスターになっていく映画を作ったとして、終始プロデューサーとイチャイチャしてエッチしまくる映画なんてはたして観たいですかね?そういうことがあっても変ではないけれど、それを露骨に描写して、観たがる観客がいて、さらに評価を得られるというのは文化の違いなのかなと思った。
登場した瞬間から存在感が半端ないアリーに違和感しかないとか、堕落の極みでカリスマ性も何もないロックスターとか、一体どこを楽しめばと思っているうちに終了。ガガの歌はすごいけれど、別にそれはこの映画でしか観られないものでもないし、やはりストーリーが伴わないと魂は震えない。
引き合いに出された「ボヘミアンラプソディ」や、他の幾多の歌モノの名作、、例えば「エディットピアフ愛の賛歌」などが心を打つのは、やはりそこに至るまでのキャラの掘り下げ、ストーリーの奥深さがあってのこと。歌がうまいことくらいしか特筆すべきこともなく、鼻の大きさはなんの障害にもならず、ただのラッキーガールがわがまま放題の挙句に恋人に死なれたくらいで感動するのは難しい。
さて、ジャック。いまどき呑んだくれのロッカーなんて非現実的と書いたものの、もし自分が心身共にポンコツとなりつつあることを自覚していて、見出した女性が自分以上の存在へと躍動していったとき、素直に称賛できるのか、私には貴方が必要、貴方がいるから頑張れてると言葉で言われたくらいで全てを信じて見守っていられるだろうかと考えた時、誰がジャックの失態を責められようか。
兄のボビーが「誰も悪くない」と言ったことは間違いではないが、ジャックがあの結末に至った原因は明らかにアリーにある。良いか悪いかではなくて、アリーの言動が彼を追い詰めたことは確かだ。
アリーは心からジャックを愛していた。しかし、その想いはジャックには届かなかった。どんなに愛していても、お互いの立場を理解し居場所を確保できなければ愛は壊れる。そのリアリティさは非現実的な設定を遥かに凌駕して観るものの心に突き刺さる。
だからこれはアリーというスター誕生の物語ではなく、ジャックというスターの死に至る物語として観れば、なるほどブラッドリークーパーはアッパレである。