幽斎

潜水艦クルスクの生存者たちの幽斎のレビュー・感想・評価

4.2
レビュー済「アナザーラウンド」から一転、Thomas Vinterberg監督が2000年に起きたロシア原子力潜水艦の沈没事故と生存者の救出を巡る顛末をリアルな筆致で描く実録派スリラー。アップリンク京都で鑑賞。

製作国はメインのルクセンブルクを筆頭にフランス、ベルギー、ルーマニア、カナダ、アメリカと正に多国籍軍。制作したEuropaCorpは、ご存じの方も多いと思うが創設者でオーナーのLuc Besson監督が、出演する条件として女優をレイプした事が、複数告発されフランスのエンタメ界は上を下への大騒動。混乱が続く中で本作も製作総指揮に名を留め、レビュー済「ANNA/アナ」以降は裁判に奔走するが、パリ検察庁から相手側との示談が認められたと、綺麗な無罪ではないが表舞台に復帰した。

チュニジア人のプロデューサーAriel Zeitounは、スリラーの傑作「女神の見えざる手」制作した手腕を本作でも発揮。フランスが頼りに成らないと見るや、ルクセンブルクの銀行団を味方に付け、主演はベルギーの国際派スターMatthias Schoenaerts。ハリウッド・スターRachel McAdamsを急遽差し替え、「007」最後のボンドガールLea Seydoux、言わずと知れたイギリスのオスカー俳優、皆大好きColin Firthと、見事なキャスティングに成功。「ネバーセイ・ネバーアゲイン」Max Von Sydow最後の出演作品。同じスウェーデンの名優Mikael Nyqvistは体調不良で死後に公開。改めて哀悼の意を表したい。

製作陣も辣腕揃い、脚本「プライベート・ライアン」Robert Rodat。原作は日本では「トレイルズ 道と歩くことの哲学」ノンフィクションで受賞歴が有るRobert Moore著「A Time to Die」。当初は「特捜部Q知りすぎたマルコ」Martin Zandvliet監督が、一連のヨーロッパコープの騒動で、Vinterberg監督に変更。古くから「潜水艦映画にハズレなし」、名作「深く静かに潜航せよ」「U・ボート」。テクノ・スリラーの傑作「レッド・オクトーバーを追え!」レビュー済「ハンターキラー 潜航せよ」等、スリラー的に潜水艦は究極のソリッドシチュエーション、しかも動いてる(笑)。極限状態に置かれた男達のリアルな描写。大国同志の政治的駆け引き等、緊迫感溢れるシーンの連続は正に映画の本領発揮。

原作の最高指揮官はVladimir Putin大統領、映画もプーチン大統領は脇役として何度も登場する筈が、脚本が何者かにハッキングされる恐れが有る為全てキャンセル。ソニー・ピクチャーズがサイバー攻撃を受け「007 スペクター」脚本が流出、北朝鮮ハッカーの仕業と指摘され、当時のソニー平井社長が金正恩の暗殺シーンを和らげる指示をした事が発覚。本作もプーチン大統領の父親が潜水艦乗組員と言う事を鑑み、事故への感情を吐露するシーンに変更。だからフランスは西側諸国のフリをする二枚舌と陰口を叩かれる。

「Курск」ロシア海軍の巡航ミサイル搭載型原子力潜水艦。NATOコードネームはオスカーII型。ソヴィエト社会主義連邦崩壊後に初めて完成した艦艇、ロシア海軍北方艦隊に配備されたが、2000年8月12日バレンツ海で事故に依り沈没。艦名は史上最大の戦車戦の舞台に為ったロシアの都市クルスク。冷戦後の国力衰退に起因する整備不良と劣化、前兆を察知しながら柔軟に対応しない官僚が招いた「人災」。ロシア国防省は協力する姿勢を見せたが、軍事機密に関わる施設の撮影にプーチン大統領が懸念を抱き、フランスのトゥーロン海軍基地で撮影。代わりに頑張るのが救助を申し出るイギリス海軍。海の男達に国境は無いと良く聞くが、本作も史実通り敵であろうと見捨てる事は絶対にしない。それは日本の海上自衛隊も全く同じだと言う。

アメリカ映画なら家族の失望とか乗組員の絶望感を演出して感動秘話に仕立てるだろうが、本作は人としての仕事への誇り、国への献身、そして家族への愛を赤裸々に綴る事で、敵と言う枠を超えた普遍的なヒューマニティは語るに値すると力強く描いた。戦争とは本来、敵の姿は見えない。ハリウッドの様にテンプレで同情を誘うのは容易いが、人間の表情とか息遣いを観客に見せる事で、日本人の私達も他人事では無い、ロシアは隣国でも有るが隣人として痛みを共有し、遠い国の災難だと言う意識すら変革する。

潜水艦は海軍でもトップ・エリートが選抜され乗船する。自身の命運が決しようとする時も普段よりも晴れやかに、最期の一瞬まで生きる事を謳歌する姿勢。開き直りとも取れる気高さには、自然と涙を誘うエモーショナルに満ちてる。海の軍人のプライドで結ばれたロシアのグルジンスキー大将とイギリスのラッセル准将の絆にも素直に感動。国籍の違いなど関係ない、日頃は心がネジ曲がった貴方も思わず、心が奪われるのでは無かろうか。「いやぁ、潜水艦映画って本当にいいもんですね~」水野晴郎氏に捧ぐ(笑)。

潜水艦映画が面白い理由を考察すると、私は「マクロとミクロのスクランブル」だと思う。地上の政治的な思惑はマクロ、潜水艦の出来事はミクロとして物語は常に交差する。対比と言うコントラストに幅を持たせる事で、死が目前に迫る暗い海と、眩しい日差しが降り注ぐ北国の風景。機械に囲まれた閉塞感の船内と、妻と子が待つ自然との繋がり。一人の小さな人間と巨大な潜水艦、文字にすると簡単だが観客に視覚的な奥行きを見せるには、狭い潜水艦の撮影は困難を極める。F-1を鋭いタッチで描いた傑作「ラッシュ/プライドと友情」イギリス人Anthony Dod Mantle撮影監督にも温かい拍手を。

本作のクレッシェンドは「腕時計」。私は最初、海軍の潜水艦乗りが腕時計無しで船内でどう活動するのか疑問に思ったが、挙式代を捻出する為に時計を売ったミハイルは、本作で時間との戦いに翻弄される。手放した時計は、息子のミーシャが引き継ぐ。葬儀に来た海軍の上官は遺族の子らと握手するが、ミーシャは手を差し出さなかった。人災と言う事実を隠し、抗議する母親を押さえ付け鎮痛剤を打つシーンは、嘘で塗り固めた世界第二位の軍事大国の恐ろしさ。握手を拒絶する事で明確に非難の意志を示した息子の態度は正にアッパレ。自分達の世代は軍に騙されないぞ。国境を超えた友情として父親の腕時計は生きた証として息子と共に時を刻み続ける。微かな希望を抱かせるラストに貴方の心には何が去来するだろうか?。

極限に生きる男達と家族のドラマで綴る体制批判は、私達の「目」も開かせてくれた。
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