天豆てんまめ

ラサへの歩き方 祈りの2400kmの天豆てんまめのレビュー・感想・評価

3.5
壮大かつ心が洗われるドキュメンタリー、、、と思ったら、
観終わって、フィクションと知って驚いた。

フィクションと言えども、チベットの小さな村の村人を
そのまま本人役で出して、巡礼させているわけなので、
台詞は用意されているかもしれないが、ハーフドキュメンタリーと言ったところか。

五体投地という両手・両膝・額(五体)を地面に投げ伏して祈る、仏教の究極的に丁寧な礼拝で、なんと、聖山まで2400Kmを1年かけて巡礼するという気の遠くなる旅路を描いている。

このポスターの少女もこの苦行をひたむきに、健気に行っている。それだけで心に響くものがある。村人11人の中にはお爺ちゃんもいれば、妊婦もいる。で途中で赤ちゃん生まれる。
なぜ、そこまでして!

いちいち、数歩歩いては、うつ伏せに寝そべって祈るわけなので、そんなで進むか!という位、なかなか前には進まない。
途中で疲れて、仰向けになったり、動けなくなったり、、

それを、泥土の上でも(泣)吹雪の中でも(泣)
固い石畳でも(泣)急な坂道でも(泣)川のような
水たまりの上でも(泣)五体投地を行うのだ。
落石が落ちてきたりもする、、

ただ、村人の表情には苦悶というより、朴訥でありながら、
どこか清々しさと時に笑みを浮かべたやさしさに溢れていて、
観ているこちらは、彼らがただひたすらに、祈り、歩き、寝そべり、また、祈り、眠り、時に、笑う姿を観て心がす~っと洗われていくようだ。

もちろんチベットの山々の風景は美しい。雄大な空とゆったり流れる雲。時に雪景色も美しく、山々に光が差し込むと実に神々しい光景が広がる。そんな中、時折、色とりどりの旗が風になびくのも目に広がる。

なぜ、そうまでして巡礼を行うのか、、亡くなった仲間の供養という意味もあれば、家族の幸福を祈ってということもあるが、そんな意味を超越して、自然と一つになっていく彼らの姿を眺めていると、ぐっと来る瞬間がある。

旅の前半で生まれた赤ん坊が最後の方、大きくなっている。
途中で亡くなる人もいる。人は生まれ、生きて、死んでいく。

生きているということ。それだけで、奇跡、喜びなのでは無いだろうか。
彼らの営みを眺めていたら、そんな気持ちになった。