眠り猫

永遠と一日の眠り猫のレビュー・感想・評価

永遠と一日(1998年製作の映画)
5.0
 はじめに

 この映画と出会ってから、はや25年。ようやくアンゲロプロスのいわんとしたことがわかってきたような気がする、そんな映画。
 今日は、主演が『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツであるというところに着目し、ヴェンダースへの応答である、というところから、この映画について考えていきたい。

Ⅰ ヴィム・ヴェンダース『ベルリン・天使の詩』

ヴィム・ヴェンダースは、『ベルリン・天使の詩』(1987)で、ブルーノ・ガンツに主役の天使ダミエルを演じさせた。作品は、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞している。

 ダミエルは、下界の人間を眺めているうちに、サーカスで空中ブランコに乗っているマリオンに恋をする。彼は、永遠の命を持ち、人間には姿が見えない天使であることをやめ、地上に降り立ち、マリオンに会いにゆき、相思相愛となる。

 天使は、心身の危機にある人間に寄り添い、無言で励ましている。イエス・キリストは、十字架にかかることで、全人類の罪を帳消しにし、無償の愛―アガペー―を示したとされる。天使はイエス同様、アガペーの実践を義務づけられている。ダミエルは人間になることで、アガペーの実践から、マリオンへのエロースの実践へと転じるのである。

Ⅱ 『永遠と一日』

1 ヴィム・ヴェンダース『ベルリン・天使の詩』に倣いて

 テオ・アンゲロプロスは、『ベルリン・天使の詩』から十年ほど経って、ブルーノ・ガンツを主役に起用し、『永遠と一日』を撮っている。『永遠と一日』は、『ベルリン・天使の詩』同様、カンヌ国際映画祭のコンペに出品され、パルム・ドールを受賞している。

 ブルーノ・ガンツを起用したのは、もちろん『ベルリン・天使の詩』における彼の演技がすばらしかったからもあるが、ヴェンダースに対する敬意の表れでもある。

 『永遠と一日』は、冬のある日、癌で余命がわずかであると悟った詩人が、入院前の最後の一日を過ごすさまを描いている。『ベルリン・天使の詩』では、詩を書く天使は天上から地上へと降りて来て、イエスのごとき永遠の命ではなく、有限の命を得る。

 一方、『永遠と一日』では、プロの詩人は地上から天上へと向かうところであり、最後の一日の経験から、一日は永遠に連なるものであること、つまりは永遠の命を信じるようになる。

 『永遠と一日』では、具体的な聖句が登場したりということはない。しかし、キリスト教の文脈でつくられた『ベルリン・天使の詩』を踏まえ、天使を演じた俳優をキャスティングしていることを考えると、『永遠と一日』もまた、キリスト教の磁場にあるといえる。

 2 永遠の命を信じて

 『永遠と一日』で、テサロニキに住む詩人アレクサンドレは、亡き妻が30年前に書いた手紙を読み、妻の自分に対するエロースとしての愛に気がつく。
 これは、使徒パウロの『テサロニケの信徒への手紙』を踏まえている。使徒パウロはテサロニケの信徒へアガペーを込めた手紙を出したが、これを妻がテサロニキに住む夫へエロースを込めた手紙を記したことへと転じているのである。

 亡き妻のエロースに応えるようにして、アレクサンドレはたまたま出会った難民の少年に無償の愛―アガペー―を注ぐ。警察に追われているのをかくまってやったり、誘拐され、金持ちの夫婦に売られそうになっている現場に駆けつけ、少年を手持ちの金を全て払って、買い戻したりする。奴隷状態にあるものを買い戻すのが、「贖う」ということだが、アレクサンドレはまさに贖っている。
 イエスは、罪の奴隷となっている人間を贖うために十字架にかかって死んだとされる。少年を贖うアレクサンドレは、イエスのごとき存在として描かれている。

 アレクサンドレは、妻からのエロースの手紙に30年経ってようやく応答し、亡き妻は、彼の心の中で復活を果たした。アレクサンドレは妻と共に過ごした夏の一日を追体験する。

 亡き人との対話は、私的領域にとどまらない。ギリシャの国民的詩人ソロモスが登場し、彼の生前の様子が再現されることで、アレクサンドレがライフワークとして取り組んできた詩人ソロモスもまた復活するのだ。
 
 私的領域では、手紙によって亡き妻が蘇り、公的領域では、詩を通して亡き詩人が蘇った。さらに、自ら目の前の難民の少年にアガペーを示し、イエス的存在と化すことを通して、アレクサンドレは死は終わりではないこと、命は有限ではないことに気づく。肉体は滅びても、自分の詩を後世の人が読むことで、その魂は生き続けるし、自分の手紙を例えば娘が読むことで、やはり魂は復活する、そのことに気づくのだ。ちょうど十字架のイエスが復活し、永遠の命を得たように。

 自分の過ごした最後の一日は、永遠に連なる一日であることに気づいたアレクサンドレは入院を取りやめ、恐れずに死を迎えようとする。

 おわりに

 公開当時、タイトルは「永遠に連なる一日ということでしょ」と思い、わかった気になっていたけれど、その深い意味には気づくことができなかった。25年の歳月を経て、ようやくアンゲロプロスの呼びかけに応えることができた、そんな気がしている。
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