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バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.0
 前作のラスト、デロリアンが落雷に打たれドクは1885年に飛ばされてしまう。1955年11月12日に取り残されたマーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)は、1885年のドクの手紙を片手に、1955年のドク(クリストファー・ロイド)を訪ねる。ドクが鉱山の廃鉱に隠したデロリアンを壊すためそこへ向かうが、そこでマーティが見たものは1885年に殺されたドクの墓だった。犯人は、ビフ・タネンの曽々祖父ビュフォード・タネン(トーマス・F・ウィルソン)。マーティはドクを危機から救うべく、一路1885年の開拓時代へと向かう。1985年の現在から、過去と未来へタイムスリップした『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ3部作の完結編。これまでの2作は1985年現在から、ちょうど30年前と30年後を描いていたが、今作では一気に100年前を描く。親友のドクの運命を書き換えるために西部開拓者時代へとタイムスリップしたマーティは、そこで85年のドクと自分のルーツとなったマクフライ一家に出会う。更に街に出たところ、酒場でタネン一味にからまれ、縛り首にされかかる。マイケル・J・フォックスもクリストファー・ロイドもトーマス・F・ウィルソンもリア・トンプソンも同じ俳優が過去と現代の役柄を演じている。

 今作においてゼメキスは西部劇のモチーフをシリーズの完結編に用いる。『黄色いリボン』のハリー・ケリー・ジュニア、『ミネソタ大強盗団』(大傑作!!)のマット・クラーク、『アウトロー』のビル・マッキニーの起用は西部劇ファンには嬉しい。また1985年の現代の物語とは正しく同工異曲の様相を呈す。55年のダンス・パーティは祭りの場面に、ローラースケートと車との追いかけっこはマーティが街中を疾走する場面に、55年の駐車場での殴り合いは、西部劇特有の果し合いの場面へと置き換えられる。今作におけるマーティはマーティを演じる他に、気弱な祖先のシェイマス・マクフライの気弱さも同時に必要とされる。シェイマスははいつも困難に立ち向かうのではなく、むしろ積極的に災いから逃げようとする。事なかれ主義者としての血筋は見事に父親ジョージへと受け継がれている。一方で今作の物語の核となるのは、恋愛の雰囲気を微塵も出すことのなかったドクのロマンスである。運命の人と恋に落ちるという予言に狼狽したこの浮世離れした天才博士は、崖から落ちそうになったクララ・クレイトン(メアリー・スティーンバージェン)の命を思いがけなく救う。そこから彼の見えなかった恋愛体質が明らかになる。これまではマーティの恋愛を目撃するだけだったドクの熱烈な愛情が垣間見える様子が実に微笑ましい。祭りでは彼女とダンスを踊り、夜の闇の中で互いの宇宙観を語らいながらキスをする。彼女に貰った花飾りをいじっている時のドクの純朴な表情は、科学者にあるまじき恋への執着を見せる。クララも自分を命の危険から救い出したドクと相思相愛である。

 エピソード1と2では奇怪な老人でしかなかったドクが一度恋をすれば気弱な少年のようになる。ゼメキスの映画ではいつだって男性よりも女性の方が一枚上手である。だが映画はマーティにクリント・イーストウッドと名乗らせた割りには、正当な西部劇の妙味には迫れていない。初期のジョン・カーペンター作品を手掛けた撮影監督ディーン・カンディを持ってしても、ユニバーサル・スタジオでのセット撮影の苦労がスクリーンに滲む。一番決定的なのは1対1の果し合いの場面であろう。ギミックなしの撃ち合いをするのかと思いきや、フライングで撃った男と、ポンチョの下の鉄板で上手く急所を外す男のズルとズルの果し合いは『荒野の用心棒』へのオマージュに徹する。決闘の場面以上に、クライマックスの列車の屋根での落下を巡るやり取りの方がスリリングで見応えがある。ここでは西部劇とは直接関係なく、馬と列車のスピード勝負となり、列車に飛び乗った男勝りのご婦人とドクとのスピードを巡る緊迫感のあるやりとりに重点が置かれる。ホバー・ボードがあるなら最初から出せよというツッコミはさておき 笑、然るべきタイミングでマーティから投げられたアイテムがまたしても危機を救う。クライマックスの帳尻合わせは設定上の苦しさもあるが、「未来は白紙」というシリーズの結びに相応しい見事な完結編である。余談だが今作の撮影も佳境に入った頃、主演のマイケル・J・フォックスにパーキンソン病の兆候が現れ始める。その時は若干30歳の若さだった。
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