「聖なる」は「鹿殺し」ではなく「鹿」にかかってますよ。
宗教的な寓話なのかな?
正直、その辺りはピンと来ない。
神の怒りに触れた者の宿命の話だろうか?
けれど、最初から、不穏な空気感で引き付けられる。
役者の演技も極力感情を感じさせないよう演出してるのかな?
淡々とした演技が不穏感を助長している。
特に ニコール・キッドマン の演技が怖い。
夫にも子供たちにも何の愛情も、愛情どころか何の感情も無いように見える。
日々のローテーションを淡々とこなしているような。
それでいて、後半に見せる行動力や強い言葉など、ちょっと不思議な気がしてくる。
ひょっとしたら、それは愛情とか家族を守る、といった事では無く、
自分の生活を乱す要素が許せないという自己本位の感情では無いかと、錯覚(?)する。
割り込んでくる バリー・コーガン もまた秀逸。
礼儀正しさと、親身になってくれる コリン・ファレル への微妙な甘え方と、ちょっとズレた感覚の表現が巧すぎる。
夫婦の奇妙な性癖(儀式?)も何かのメタファーなのだろうか?
妻と二人の子供を犠牲にするくらいなら、自分が犠牲に、という選択肢が無かったのが、ちょっと違和感あるが。
ところで、コリン・ファレルの髭って、付け髭なのかな?
結構似合ってるな。
因みに、ニコール・キッドマンの手コキを観るのは2度目である。