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聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのmofaのレビュー・感想・評価

4.0
ソルトバーン同様、バリーコーガンの気持ち悪さが炸裂!
独特な世界観も相まって、
かなり私は、好きな作品となった。
 
とにかく、初めから終わりまで、
不気味で不協和音な音楽。
 目を塞ぎたくなるような音響は、
この作品に、
より不気味で宗教染みた世界を
作り出している。
 なので、どれだけ出てくる人間が、
非常識で不条理であったとしても、
その違和感を受け入れてしまう。
もっといえば、人間の嫌な部分を凝縮したような人間ではないのかと、
まるで、人間の底を見せられているような
気持ちになっていくのだ。

 一人の青年が裕福な家族に入り込み、
一家の主に、予言をする。
私は予備知識なしだが、
物語の展開のベースは、
タイトルの雰囲気からも、宗教や聖書が関わっているのかな・・・
と思っていた。
 視聴後、確認すると、
ギリシャ神話がベースになっているとの事だ。
 
簡単に説明すると・・・

ある男が、偉い女神さまの飼っていた鹿を殺してしまった。
女神さまは大変怒ったんだけど、
殺した男は、
傲慢な態度で謝りもしなかったらしい。
 女神さまは、
男の娘を生贄に差し出さない限り、
この怒りはおさまらないと言う。
 結局、男は娘を生贄に差し出してしまう。

・・・というお話。

この異質な物語は、あまり考えずに、視聴すればいいのかも知れない。
理由や原因、
種明かしを求める作品ではない。
 不穏な演出と、キャスト陣の演技、 
そして不協和音。
現実的ではないが、非常に神との共存を感じる作品となっている。
神は常に人間の奥底すべてを見ている。
そう感じてしまい、ゾッとする秀作である。

☆以下ネタバレです☆

その話で行くと、
鹿を殺したのは、
心臓外科医の父親であるスティーブン。
鹿を殺されて激怒した女神が、
マーティンである。
そして、生贄になった娘は、
最終的に息子・ボブという事になる。
 
【神の存在を感じる演技と、演出】
この作品の凄い所は、そこだと思う。
バリーコーガンの、人間を卓越したような
不気味な存在感が、たまらない。

 人間を許し、助ける神様という
ワケではなく、
人間を観察し審判する。
 その視線は、どこまでも冷酷で絶対的だ。
嘘やまやかしは通用しない、
人間の奥底まで
じっくりと見下ろしているのだ。

這いながら、マーティンにすり寄るキムを、見下ろすマーティン。
テーブルに座っている家族を、
見下ろしながら、
横切るマーティンの、その視線に、
じっとりとした重みを感じるのだ。
 彼には、人間たちのその向こうが
見えている。
そう、感じずにはいられない。

カメラワークも、
ボブがエスカレーターで倒れるシーンでは、
上からの長回しが、まるで、
覗き込んでいるような不気味さを覚えた。

マーティンは、平等に重きを置く。
贈り物には、贈り物を。
家に招いてくれたら、招く。
父親を奪ったから、父親になれという。
そして、こちらの家族を一人殺したのなら、
そちらの家族を一人殺せ。

 ギリシャ神話の他にも、
因果応報・目には目を歯に歯を・・・
という考え方が、
踏襲されているようにも感じる。

【人間の愚かさ】
この作品は、出てくる人間みんなおかしい。
けれど、それに違和感を覚えないのは、
人間の愚かさを凝縮しているせいかも
知れない。
 
人間の中に潜む、
少しの愚かさを凝縮した人間たちが、
こうして、体現化しているように
思えるから、
「こんな人いない」と否定し切れない。

スティーブンは、プライドが高く、
心臓外科医として人を
救ってきたと過信している。
 自分の完全な非を、認めようとはしない。
後ろめたいはずのマーティンにすら、
上位に立とうとする。
 うわべは、子供たちを愛を見せるが、
その愛も打算的で、
利己的に動く人間なのだ。

アナもまた、
「子供は死んでも、自分たちがいれば、
子供を作る事が出来る」と、
冷酷な一面を見せる。

キムは、マーティンに媚を売り、
その足にキスしてまで、救いを求める。
 ボブに、死んだらプレーヤーをおくれ・・・・なんて事も言う。

選択する側、選択される側・・・
それぞれの、
本心が浮彫にされていく。

人間が隠そうとする、
それらの愚かさ。
 それらを、
究極の選択を迫るという形で、
あぶり出し、
鉄槌を食らわせているのが、
本作ではないだろうか。

【そして、その審判は・・・・】
 結局、スティーブンは息子を殺し、
他の3人は救われたワケなんですよね。

でも、
これですべてが解決したワケではない。
最後まで続く不穏な音楽、
横切ったマーティンの、
見下ろすような視線は、
彼への罰が、終わっていない事を
物語っているように思える。

この作品のタイトルは、
The Killing of a Sacred Deer
・・・となっている。
日本版タイトルは、「聖なる鹿殺し」となっているが、
ちょっと、これがミスリードだと思うんですけど。

「聖なる」鹿殺し

ではなく、

「聖なる鹿」殺し

・・・になると思うんです。
「聖なる」は「鹿殺し」にかかるのではなく、「鹿」にかかるんですよね。

女神の聖なる鹿を殺した人・・・
という事で、
ギリシャ神話をタイトルにしたって事だけど。
 物語で、生贄にされた娘の首は、
祭壇で鹿の首になっていた・・という
逸話もあるんですね。

つまり、生贄に出した娘も「鹿」と
するなら、
ボブこそが、聖なる「鹿」という事になる。

 そう考えた時、
ボブは、キムやアナと同じように、マーティンに媚を売ろうとしなかった。
彼だけが、父親にすり寄り、
健気にも髪の毛を切り、
父親のようになりたいと、
そう助けを求めていたのだ。

 スティーブンにとっての、聖なる鹿は、
ボブであり、
彼を殺してしまったという現実は、
大きな誤りであったと
意味しているように感じた。

 父親よりも得体の知れないマーティンを選んだ妻と娘が残った、
これからの人生。
後悔と苦悩を背負う事になるだろう、
そんな最後だった。

これまた私の勝手な解釈ですが。
非常に面白い作品でした。
 最終的に、答えがあるワケではないので、
消化不良になるかも知れないが、
この家族は、
ボブを犠牲にした事で、生き地獄となる事、
間違いなしだと思う。

面白い着想と、しっかりした脚本
その世界観を構築する演技力と、
演出・音響。
神は、しっかりと見ている。
人間の奥の奥の、その奥底まで。
 偽る事の出来ない、絶対的な存在を前に、
人間はひれ伏すしかない。
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