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聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのkojikojiのレビュー・感想・評価

3.8
No.1610
2018年 アイルランド/イギリス映画
監督ヨルゴス・ランティモス

 この映画に関しては、絶対ネタバレは読まないことにした。実はこんなことを監督は言っているとか、こういう意味だとか、知ったところで今は何の意味もない。今更理屈をつける必要などないと思う。感じたままを自分の中に残して、この監督の次の作品を観てみよう。そう思っている。

 最初から最後まで、確かにずっと同じテーマで物語が進行しているのはわかる。何やら宗教ががかっている感じもするが、それがどんな意味を持つのかはわからない。
ずっと「何?これ!」と思い続けて、それらしいところまで辿りついて、ドラマは終わった。
 映画そのものは面白いのだけど、何なのかわからない。今までに体験したことのない感覚に陥ってしまう、実に変な映画だ。

 心臓外科医スティーブン(コリン・ファレル)は、美しい妻アナ (ニコール・キッドマン)と二人の子供に恵まれ郊外の豪邸に暮らしていた。
と、一見裕福な普通の家族のように見えるこの家族なのだが、この医者も、その妻もなんだか変だし、夜の夫婦の営みも何やら異常なのだ。どんな風に異常なのか、何がしたいのか、それもよくわからない。

 スティーブンはこのところ、時どき会っている少年マーティン(バリー・コーガン)がいる。
 彼はスティーブンの元患者の息子で、その患者は、どうやらスティーブンの手術で亡くなっていたようだ。そこに全ての謎を解く鍵があるのだろうが、それは語られない。ただそこを鍵としながらストーリーは展開していく。

 ある日、マーティンを家に招き入れ家族に紹介したときから、奇妙なことが起こり始める。息子のボブが突然歩けなくなり、這って移動するようになる。当然、病院に入院させ精密検査を繰り返すが、原因がわからない。  
 そうしているうちに、娘のキムまで歩けなくなるのだ。家族に一体何が起こったのか?
マーティンは近いうちに誰か死ぬことになると予言する。

 サスペンスというより、マーティンを演じるバリー・コーガンが悪魔のように見えてきて、ホラーの感じさえ漂う。
 このマーティンの不気味さが、普通の人間なだけに、怖い。その異常さは、今までどんな映画でも描かれたことがないような不気味さだ。
それをこのバリーコーガンが見事に演じている。
 監督は彼にどんな演技をするように指示をしたのだろう?彼はそれをどんな風に理解して演じているのだろう?この関係性というか、二人の理解が想像を遥かに超えていて、異次元の世界を垣間見せられる気がする。

 最高のシーンは、妻のアナがどうしょうもなくて、マーティンの家を訪ねた時のマーティンの凄さ。
 彼は学校に行かなければならないから10分間ならいいという。
 彼は亡くなった父との関係性についてベラベラと語り出すのだが、スパゲッティを逆手に持ったフォークで口に入れながら話す、その目つき、仕草、食べ方、話の内容、どれをとっても異常なのだ。どんな風に育ったらこんな子供になるのか?その時の彼の異常さが際立つている。
 と、私は思っているにもかかわらず、妻のアナは声を出すわけでもなく、彼をじっと見ている。彼女は何を思っているのか?
「なんなんだこの映画は⁈」
そんな映画だった。

 ネタバレにすべきか悩んだが、自分の理解の無さは知っているのでネタバレにはならないだろうと確信してネタバレにはしないことにした。
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