現代の御伽噺、
もしも電気が止まってしまったなら…
そんな世界をシミュレートしてみる。
世の中の多くのものが、電気を頼りにしていることを考えさせられるけれど、それだけじゃない、情報も入って来なくて、信じられる確かなことがない中で人は何を望むのだろう、
なんだかそんな風に考えさせられてしまった。
もう東京にはいられない、そう決断するまでの間が、悠長なようでいて、必要だったようにも思う、
ここにいてはダメだ、そんな判断はきっと難しい。
より安全なところへ、誰とどうやって逃げるのか、それは私自身もちゃんと答えを用意しておかねばいけないことだと思う。
たとえ、それが困難な道のりだと分かっていても、この命がある限りその手を繋いでともに先を行きたい人は、誰?
たとえ遠く離れていても心は近く、顔を見て安心したい、顔を見せて安心させたい人は、誰?
私は私にとって大切な人の、そのどちらかでありたいと思う。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
地方が都市部の生活を支えていること、
エネルギーの転換や科学技術の進歩にによって便利な生活が実現していること、
ちょっと考えればわかることをその恩恵も忘れて当たり前として生きがちだ。
電力もその恩恵のひとつ。
だからと言って便利さを手放すことも、時代を遡って生活することも、
元に戻ってしまえば難しい。
自分にふりかからなければ想像することはない。でもそれで良いのだろうか、そんな風に語りかけられた気がする。