段ボール箱

サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~の段ボール箱のレビュー・感想・評価

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音楽を生業とする者が突然難聴になる恐ろしさと、言葉を始めとする意思の疎通がままならないことのもどかしさ、訪れる静寂の美しさ、リズ・アーメッドの研がれたナイフみたいな演技が素晴らしい。

というのは大前提として、楽しみにとっておいただけに腑に落ちない部分が多すぎた。
聴覚障害についての知識が全く無いので的外れなことを言っているかもしれないのだけど、障害を克服しないという考え方はともかく、障害を得た者が社会から切り離された楽園的コミュニティの中だけで生きられるように誘導することが本当の平穏であるとは思えない。
いくらコミュニティの中で必要とされる存在になったとしても、酒浸りで家族を失ってからやってきたジョーと、愛する人と引き離される形で参加することになったルーベンでは全く立場が違う。大切なものと隔絶してまで得た平穏は本当に無限のものか?
ジョーは障害を治すな、壊れた箇所を修理するな、と諭しはするが、とはいえコミュニティの中で役割を持たない大人はどうやらいないように見える(結局誰かが修理役を担っているのでは?)ことと、ルーベンの結局ここの誰も自分の人生の責任をとってくれないではないか、という疑問については説明できないでいるのが全てのように思えた。
人工内耳の突然のグロテスクな描写も浮いている。

コミュニティを運営しているのが行政ではなくキリスト教由来の善意の団体なのも気になる。
万が一団体が解散することになったとき、メンバー全員がそのまま社会で生活するための責任の所在が不明。

愛する人と離れ離れになってしまったルーが父親のもとに戻り安らかな生活を送っている描写も、キリスト教的な家族観が強すぎる感があり馴染めない。
お互い問題を抱えて先の見えない共依存関係だったかもしれないが、2人がそのまま助け合ってどうにか生きられるように救いの手を差し伸べるべきなのは社会(と行政)であってほしいと無知な日本人の私は思ってしまう…。
もう少し聴覚障害についての知識を得たらまた観たい。

経緯はともかくとして、ラストシーン、教会の鐘の音が割れ鐘のように鳴り響く中、とある決断をしたルーベンが鐘楼を見上げ、遊ぶ子供をまなざす場面が結局はこの映画の全てだと思う。
ルーベンがついに得た静寂は彼にとっての福音になったのか。