静かな鳥

荒野にての静かな鳥のレビュー・感想・評価

荒野にて(2017年製作の映画)
3.5
果てしなく広がる荒野にて。
貧しいゆえ恵まれた生活とは到底言えないが地道に働き慎ましく生きる、父と二人暮らしの16歳の少年チャーリー。だがある時を境に彼は大切な居場所を失い、世界の淵へ追いやられてしまう。行くあてのない少年は、自分が世話していた競走馬のピート(Lean on Pete)と共に、何処までも続く広大な荒野へと足を踏み入れる。

少年の繊細な感情の動き。静謐でいながら時に激しいその心の内を、穏やかな筆致でつぶさに本作は捉え続ける。寄り添うでも突き放すでもないカメラの距離感が絶妙。まだ子どもでいたいだろうに、周囲の環境が早く大人になれと少年を強いる。社会の吹き溜まりのような僻地であったとしても、彼は懸命に生きていたのだ。そんな彼が、大切な心の拠り所を続けざまに失いゆくのをただ見ているほかないのはとても辛い。資本主義という競争社会の中で爪弾きにされた一人の少年と、競走馬として"用済み"になった一頭の馬。あまりに理不尽な現実に耐えかねた彼らは荒野へ歩みを進める。感傷的になりすぎずも、流麗さを湛えたアメリカ北西部の荒涼とした自然。その逃避行の道程は険しく厳しい。少年は、時に道を踏み外し間違いを犯す。時に不条理な泥沼に嵌る。追い討ちをかけるように悲劇は起こる。いつまで経っても出口など見えない。手は土に汚れ、胃袋は空っぽになり、少年はベルトの穴をまた一つずらしてきつく締める。ただ、どれだけ絶望が襲おうとも、それでも、少年の純粋な心はギリギリを踏みとどまり、瞳の凛とした輝きは消えることなく気高くそこにある。

旅先で出会った少女は「他に行くとこがない」とチャーリーに呟く。とある家を離れる際、彼は「行こう。ここは僕たちの家じゃない」とピートに囁く。家。そして、居場所。
心の底から安心して"もたれる(lean on)"ことの出来る人の存在が、私たちには必要なのだと思う。心を許せる誰かが傍にいてくれるということ。安らげる居場所があるということ。大人たちの前で少年の引き結ばれた口は、ほんとうに言いたいことを発しない。見え隠れする遠慮と警戒心。でも、隣にいてくれる馬には本心を吐露できる。そんな少年に安住の地は訪れるのか。この映画で齎される救いは、私たちを安堵の思いで包み込む。

本作で確かな存在感を滲ませるのは、チャーリーを取り巻く大人たちだ。分かりやすく善人/悪人ではないところに、リアリスティックな人間味が浮かび上がる。彼らはチャーリーを気にかけてはくれるが、身を挺してまで手を差し伸べようとはしない。それはそうだろう。誰だって、自分の生活のために生きることで精一杯だ。余裕などなく、ほんとうの思いや言葉を飲み込み、何かを犠牲にせねば自らの生計を立てるのもままならない。自分の力ではどうにもならないことがこの世の中にはごまんとある。非力でちっぽけな人一人に出来ることなど限られている。そのことを受け入れる大人たちと、それに抗う少年。チャーリーが背負うにはあまりにも現実が過酷すぎる。そんな中で本作は、少年の心の逃避行や、大人たちの「ありのまま」を肯定してくれる優しさを持ち合わせているのが良い。

少年はこの旅路を通して、世界の現実の一端を垣間見る。このろくでもない、残酷な現実を。されど少年は再び街を走り出す。またここから、彼の人生が始まる。前へ前へと足を踏みしめる度に、彼の世界は拡張されていく。生きていれば、寄る辺なさを感じる夜もあるだろう。遣る瀬無い気持ちに苛まれる瞬間もあるだろう。それでも、幸か不幸か日々は続いていく。途切れることはない。
果てしなく広がる世界にて、少年はこれからも走り続ける。
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