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ゴダールの映画史 第3章 映画だけがのzhenli13のレビュー・感想・評価

4.0
セルジュ・ダネーとゴダールの対話が超重要と思いつつ秒単位のイメージの出典を知りたくてまたもレファレンスを一時停止しまくりながら観たため再見。

2A『映画だけが』20世紀の真ん中、映画の真ん中に映画を始めたヌーヴェルヴァーグ世代だけが、映画の過去を語れて未来も語れる。受け継ぐもの、拒むものをわかっていた。それを意識的にやる=映画の歴史のどこに自分が位置するかを意識する。ゴダールは後年になってその理論化を推し進めた。ゴダールこそが歴史家の器である。
ダネーの提起は明快だが、ゴダールのことばで眩惑させられる。しかしとても示唆的。
「映画だけが」歴史を語ることができて、歴史を語る唯一のもの、だが一度もなされていない。私(ゴダール)にとって大きな歴史とは映画史のこと、なぜなら投射される=送る、投げ出すから。映画は自らを投げ出すが他の歴史は自らを凝縮する。テレビは視聴者を投げ出すだけ、映画では引き寄せられる。

ジュリー・デルピーの朗読と『狩人の夜』で幼い兄妹を追うロバート・ミッチャムがすんでのところで逃げられ、兄妹が夜の静かな川へ漕ぎ出すシーンがクロスする。若く美しいデルピーのショットとその朗読とかさなる数々のイメージにより、問いはそのまま放擲される。

最後のほうに収容所の捕虜らしき写真と男女の接合が大写しになったショットが並置されるところがあって、最初何が映ってるかわからずぎょっとした。あれはポルノ映画的なものなのか?極彩色の画像も何かと思ったらメリエスの彩色映画だった。
ロブ・トレジェンザという監督の『トーキング・トゥ・ストレンジャー』という作品がメレディス・モンクの曲とともに最後に長めに引用されてる。ゴダールが絶賛していたらしい。
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