YasujiOshiba

スプリットのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

スプリット(2017年製作の映画)
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U次。23-18。ようやくキャッチアップ。内容がわかっていたので、用心していたんだけれど、一緒に見ることができた。

まずは安定のシャマラン節。導入がよい。焦点深度を浅くとったアニャ・テイラー・ジョイのアップ。そこからの展開。見せたくないものは見せない。見せたいものを見せながら、何かが起こることをはっきり伝える駐車場のシーン。近くのバックミラーには写っていなかったものが、反対のほうには写っている。ハッと思ったときには、彼はもうそこに乗り込んでいる。その男を捉えるアニャのPOV。さすが、うまい。実に映画だわ。楽しいわ。

→ ここから先はネタバレあり。注意されたし。

この映画「解離性同一性障害(DID)」を扱っている。メンタルヘルスを守ろうとする団体からは、この映画がDID患者に社会的な烙印(スティグマ)を与えるものではないかと講義の声が上がっている。DIDと犯罪と結びつけているという批判だ。

たしかに、DIDを持つものにとって、心地の良いものではないかもしれないし、この作品から精神的なショックを受けることは十分に考えられる。そこは認めなければならない。けれども、シャラマンの意図はむしろスティグマを超えるものを提示しようとしているふしがある。たとえばこの記事にはこんな記述がある。

「46歳のシャマランは、解離性同一性障害(DID)に長い間魅了されてきました。それはかつて多人格障害として知られていたもので、この診断名が物議を醸したものです。シャマランが『スプリット』の主人公を着想したのは15年前のこと。ほとんどの作品もそうですが、ここでもシャマランが自身の手で脚本を書きました。こうした(DIDの)状態が、人間に未開発の可能性があることを示唆しているかもしれないことに興味を抱いたのです。たとえばシャマランは、単に音楽を聞いただけでベートーヴェンを完璧に演奏するというDID患者のことを引用しています。それだけではありません、そのような行動がまったくの障害(Disordere)と見なされている事実にも興味を持ちます。そしてこう問いかけるのです。《彼らは私たちができないことをすることができますが、私たちはそれを障害と呼んでよいのでしょうか?》。《治療法は、彼らを再び1つの意識にすることです。しかし、それは順応させること。私たちが見ているのは、たんに私たちの偏見であったり、私たちのレンズを通したものにすぎないのではないでしょうか?》」
(https://time.com/4642999/m-night-shyamalan-filmmaker/)

なるほど、問題を提起して、偏見を挫かせるのがシャマランの狙いなのだ。それは理解できる。そして相変わらずのあのあっと驚くラストシーンに、その狙いははっきりと読み取れる。なにせこの映画、ぼくは幸いにも知らなかったのだけど、シャマラン印のアヴェンジャーズ三部作(?)のスティルス予告でもあるのだ。

いやはや、これはもう、ぜんぶ見るしかないじゃんね。
YasujiOshiba

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