くるみ

スプリットのくるみのネタバレレビュー・内容・結末

スプリット(2017年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

1回目はシャマラン監督&マカヴォイの来日イベントで鑑賞し、公開日に2回目を見に行きました。
私は2回目のほうが面白かった。

1回目は、私が誘拐ものならではの要素を求めており、うまく楽しめませんでした。ホラー系が好きなので、怖がりたかったんです。でもマカヴォイファンなので、誘拐された側に感情移入するよりも「マカヴォイ頑張ってるなあ、ヘドウィグ可愛いなあ」などの気持ちが先行し、ストックホルム症候群みたいになっていた。
シャマラン監督作品についても、評価の良いものを中心に7本見てました。前作の『ヴィジット』は恐かったので、今回もホラーやサスペンスとして期待してたんです。けれど、女子高生たちの追い詰められ方などが期待値よりも低く、たとえば「トランシーバーで勘付いた警備員をケヴィンが追い返すとかあってもいいんじゃないの?」とか「ビーストは檻くらい簡単に捻じ曲げてほしい」とか考えていた。元ネタのひとつダニエル・キイスの『ビリー・ミリガン』シリーズが既読だったので、多重人格の特徴についても新しく感じられなかった。
要するに、1回目は私のなかのノイズが多く、うまく『スプリット』の世界観に入り込めなかった。マカヴォイもシャマランもまったく知らずに「お、多重人格人間の誘拐もの?聞いたことない設定だなー」て状態で見てたらもっと楽しめたかなと考えていた。そうなると、最後の『アンブレイカブル』との繋がりがわからなかったので、画竜点睛を欠いていたけど。

その点、2回目は1回目とまったく違う視点で見られました。特にケイシーです。
戦いを簡単にあきらめるところ、クレアとマルシアに的確なアドバイスを送るところ、多くの衣服を着ているところなど、彼女の生い立ちと現状を知っていることで感情移入して見られました。
彼女はすでに「獲物」として扱われたことがあった。ヘドウィグにキスを許して懐柔するところなんか、叔父さんのおぞましい要求に応えた経験を活かしたんでしょうね。ちょっとした描写から想像力を大きく広げられて、恐怖と苦痛が増幅されました。

ケヴィンについても同様です。隠されていた部分を注意深く観察できた。パトリシアの底知れなさやバリーのふりをするデニスは見応えがあったし、電車の意味も『アンブレイカブル』と繋げられた。
ビーストについても、1回目はまったく違う予想を立ててました。元ネタのビリー・ミリガンは、最後に23人の人格を統合して1人になるので、24人目の人格はその統合用の人格だと思っていました。同じダニエル・キイスのフィクション『五番目のサリー』も同じ成り行きです。つまり、虐待などでDIDになった人間のハッピーエンドは、普通の人間に戻ることだという先入観があったのです。
けれど、24人目のビーストは普通とは程遠く、暴力的な人格に聞こえました。彼が統合人格になっていいのだろうか。他の人格を圧倒して食い尽くしてしまうのに、デニスたちはビーストの暴挙を許すのだろうか。1回目の途中までは、そういったことを考えていました。

しかし、シャマラン監督は多重人格者に対して、ダニエル・キイスとは違う救いをもたらしたのです。
ケヴィンの人格たちに動物の名前がつけられたとおり、彼はDID患者として、あるいは幼少時に虐待を受けたものとして普通の人間以下の存在として扱われてきました。バリーに代表される穏やかな人格は、そんな障害が普通に見えるようにしてきたものの、世界は彼らの努力に無慈悲だった。職場で性的暴力を受けることで、彼らはもっと力が必要だと考えた。それがビーストです。シャマラン監督は、24人になること、もっと「スプリット」することを人間の枠組みを越えた存在への跳躍だとあらわしました。最後の「群れ(Horde)」という二つ名が示すとおり、彼らは24人のまま地上に出て自らを寿ぐことができた。動物は、決して人間より下の存在ではないと証明した。
制作にあたっては医学的な下調べもしたそうなので、このラストは精神医学におけるDIDの寛解とも正反対なのではないでしょうか。

そして、ビーストはケイシーにも福音を与えます。動物的扱いを受けてきた彼女は、叔父の虐待に対してあきらめの境地に達していた。彼女の聡明さからすると、自立するまでの辛抱だと思い定めていたのかもしれませんが、直ちに解決できる問題とは考えていなかった。
けれど、ビーストは彼女に違う視点を教えました。傷を追ったことは洗礼であると、自らを解放すれば囚われの獲物から脱せられると。ビーストは彼女の同胞だと。よって、ケイシーはあのあと、叔父の暴力に対し暴力で対抗して勝利するはずです。

終わってみると、非常にシャマラン監督らしいサバイバーの話でした。冒頭の誕生日会は、ビースト及びケイシーの誕生であり、本作自体がアメコミで言うオリジン(誕生譚)だった。
監督から発表があったとおり、次作“Glass”では『アンブレイカブル』と『スプリット』が繋がり、アメコミっぽい話になるようです。
現在のところ、ダンがヒーロー、ミスター・グラスがヴィランという位置付けですが、ビーストはヒーローともヴィランとも決めかねる造型で、私も人殺し部分の捉え方は保留にしていますし、目覚めたケイシーがどういう能力を使うのかもわからない。何より全員がサバイバーなので、ヒーロやヴィランという枠組みは無意味になっていく気がします。
世界の複雑さ、あるいは無慈悲さにどう対抗するのか、シャマラン流の救いを期待しながら、3回目を見に行こうとしています。

2017/04/25、2017/05/12
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