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コーラスのROYのレビュー・感想・評価

コーラス(1982年製作の映画)
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補聴器をつけた耳の不自由な老人がラシュトの街を歩いている。周囲が騒がしくなると、彼は音を消す。

キアロスタミの短編好き

■ABOUT
騒がしいラシュトの街を歩く老人の補聴器が耳から外れると、彼を包む静寂を模倣して映画の音声が消える。自宅でも補聴器を取り出すと同じことが起こり、キアロスタミは彼の無言の行動と、外から彼の注意を引こうとする女子生徒の喧騒を交錯させる。静寂と音、年齢と若さ、孤独と連帯のコントラストに関する、もうひとつのキアロスタミの瞑想である。(Janus Films)

■STORY
補聴器をつけた耳の不自由な老人がラシュトの街を歩いている。周囲が騒がしくなると、彼は音を消してしまう。しかし、家に帰ると、孫娘が玄関のベルを鳴らしてもその音が聞こえない。

■NOTE I
感動的な短編『コーラス』は、補聴器をなくした老人の物語である。キアロスタミは、音とその(突然の)消失、あるいは音の干渉を利用し、映像を引き立て、観る者の知覚を研ぎ澄ます。後に彼は、『クローズ・アップ』での象徴的なフィナーレで同じ音のギミックを使うことになる。

■NOTE II
『コーラス』(1982年)は、キアロスタミのより親しみやすく、気まぐれな語り口への回帰と、初期作でさえ優れた技術的資源を進歩させたことが重要である。この映画の年老いた主人公は補聴器をつけている。彼がうっかり若い子どもたちを家から閉め出したとき、彼らはクラスメイトを集めて合唱し、やがて彼の注意を引くことになる。1979年、革命家たちが不在の中、次世代のイラン人女性たちは、自分たちの運命を支配する遠く無関心な家長に手招きをしているのだ。「門を開けろ!」

『コーラス』は、より創造的な形式的アプローチの始まりとなる、光り輝くソフトフォーカスで撮影された不思議な映画である。キアロスタミの天才的なウィットはここでも発揮されている。耳の聞こえない主人公は、ガス欠の職人と向かい合って座り、陰険に補聴器を外してしまうが、仲間の無言の暴言には笑顔でうなずき続けるのだ! 広場で鳩に餌をやり、バロック調の照明器具をウィンドウショッピングし、ワサビを味わいながら午後のタバコを吸う...そんな主人公のおじいちゃんらしい時間割の繊細な描写も魅力的だ。イランの長く苦しいイラク戦争中に撮影された本作では、主人公は高齢を理由に兵役を拒否された叔父か祖父である可能性が高い。その子供たちの親は前線で兵役についているか、死んでいる可能性が高い。『ドクターTの5000本の指』(ロイ・ローランド監督、1954年)でのバート・コリンズ(シングルマザー)が、“アメリカでは最近未亡人になることが当たり前だった時代には目立たない存在”と考えられていたように、このディテールはほとんどの西洋人の観客には理解できないだろうが、イラン人ならすぐに理解できることだろう。

キアロスタミが「児童青少年知的発達研究所(Institute for the Intellectual Development of Children and Young Adults)」のために制作した作品は、最高のご都合主義映画のように、時に毛沢東的な大衆芸術の概念に近づくことがある。常人の対立を率直に描写するこれらの映画は、進歩的な社会的成果のために娯楽を提供する。高速道路の花火や、どこにでもある資本主義リアリズムの寝室での帝国主義とは大違いである。これが単に制作上の要請の反映であるならば(『Toothache』や『Two Solutions for One Problem』の制作を「監督」した髭面の役人は何人いたのだろう)、厳しい政治体制の中で作られたこれらの短編の不朽の魅力は、キアロスタミの映画作家としての才能を証明するものだろう。

Jim Knox. Cacti Blossom in a Desert: Some Short Films of Abbas Kiarostami. “Senses of Cinema”, 2013-12-02, https://www.sensesofcinema.com/2003/abbas-kiarostami/kiarostami_shorts/
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