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ストレンジャーズ6のニューランドのレビュー・感想・評価

ストレンジャーズ6(1949年製作の映画)
3.9
✔️🔸『ストレンジャーズ6』(3.9) 及び🔸『サンビザンガ』(4.0)▶️▶️

人民抑圧(軍事独裁or宗主国操り)政府に対する、庶民と組織の闘いを、まだ迷い少なく描けた時代の、大胆で澄んで、寧ろ今観た方に戸惑わせる2本を続けて偶然観る。赤狩り期米映画特集と、伊復元映画祭貸出、の各々1本から。
出鱈目なのか、信条保ってるのか、絶望的なのか、都合がいいのか、まさにヒューストンで、このとりとめの無さと大胆さが、現実に対しての最適なポジション·知らぬうちの影響力を持つということだ。タッチが随分荒っぽく纏まり悪いので、勝手にごく初期の作品かと思い込んでたが、よく考えれば濃い主演3人の揃い踏みを思うと、正に最高傑作『~バッヂ』を始め著名作が抜けなく何本も並んだ’50頃前後の最も自由大胆の頃の作だ(晩年の『ゴング~』『王と~』らから『女と男の~』『ザ·デッド』に至る十数年のユニーク波維持も凄いがその間は玉石の石も多く平気)。
何か意味の無い手法への凝り方(弟殺害から始まる屋外シーンの執拗ななスクリーンプロセスでのメイン人物と背景分離感、警察の男が性的にヒロインに迫る場面の変に強いカメラの揺れや欲望主観的な迫る移動、掘ったトンネル坑内の横フォローカットバック美統制や·ギャング映画張りのヒロインの射撃姿や壁に空いてく弾跡列のジャンル映画ノリ)、革命を大統領や閣僚爆殺計画の6人と最低限現実触れに絞ってゴダールの革命ごっこ映画の先取の様に(ルノワール『~幻影』的目的地へのヒロイン実家を押さえての長い横穴掘りサスペンスも)、足並みバラバラのそれなりに皆が持ってる行動根拠(それは嗅ぎ回り·追い詰め·妙に理解示し·性欲も露な警察側代表の1人とその代行の動きもそう)の絡まりの妙さ。
映像は安定せず奇手を使うこともあり、構図や繋ぎはかなり正統をずれて叩き込まれるし、カメラ移動も主体性なく、フォロー追いのニュアンスにとどまってるが、コントラストや力強さは定着してきて、終盤、外国銀行内での自ら裏書き米人同志の小切手の現金化と持ち出しての、上司や外の警察の存在も影響しての避けるようなウロウロの、カメラの左右主体的動きや人らの捌きの天才、そしてアジト=わが家での、政府側との、銃やダイナマイト·突っ走りの一級娯楽映画の迫力の張りと揺れの醍醐味の充分以上に至る。
地理や歴史に疎いので、革命前のキューバが米寄り一辺倒でなく、’20年代序盤からの10年間は独裁政治で、警察が少し位の不平分子を問答無用で射殺していた時代として描かれてるのには、誇張もあると思いながら驚いた。そうして学生の弟を殺された外国銀行勤めのヒロインは、革命組織に近づき、大統領と側近の爆殺計画のグループ6人の1人に抜擢される。計画の中心は、銀行の顧客でもある、芸能人発掘で来た名目の米人。が、正体は、子供の時追われるように出国し、移民らの資金を預かり、戻りきた鉄の意志の革命家、計画に迂回延期等認めない、目標を見失わず、物理的破壊に自分の身を挺して向かう。彼の葬儀の為の議長ら犠牲やむ無しらには、その標的の知人や家族大事のメンバーを困惑させ、中には発狂·事故死も。が、自分を犠牲にして救おうとしたヒロインの所に、リーダーは大義達成と個人的感情拘りを同等にまで捉え直し、戻ってきて、両方を諦めぬ戦闘の中で命を落とす。
その時、図らずも一斉民衆蜂起、政権を倒す、というのは『アルジェ~』よりも調子いいが、ま、それが映画。それよりも自国以外のそれを認めない、世界最大のテロ国家アメリカの姿の、礼賛映画かと思ったがそうでなく、個人の意地と大局、非情戦略とパーソナル事情感情の軋轢がイジイジと変に渦巻いてて共感した。恒に立ちはだかり·探りいれてる、警察の革命潰し非情最前線の男すら、「国の為多くを確かに殺して来たが、外国絡みの革命分子と違い、俺は真の愛国者で、人間への愛情に満ちている」と、自分がその弟の仇とも知らず、ヒロインを、本気でに口説いてくるのである。
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同じ抑圧政治に対する組織活動を描いた『サンビザンガ』たが、これは現地人監督による作で、同じ民族の製作(70年代)の10年前の独立運動を描く身近さで、リアリティは違う。しかし、これは白人映画文法から画然とした語り口を見つけてるわけでも、アジテイト映画として力強い叩き込みを、実現しているわけでもない。粗末な木で組まれた平屋の小さな家の並びや原色を活かした民族衣装、民族の音楽·歌や舞踏の屹立し且つ溶け込んだ存在、河の常に汚れた色での濁流の荒々しさを作品世界にした上で、基本、控えめで対象に無理なく沿った叙述である。ズームによる近づきやパン、カメラを俯瞰に上げて·奥のもう一方の目の高さ捉えてくティルト、等手持ちの揺らしや移動のフォローや次いでくタッチは静謐でいて躍動力も含んでて、組織の(隠れた)闘士の板橋で待たせてる2人の所へ向かう板面より低い位置でのカメラが追いながらの長い捉えの自然な風格や、ラスト近くの同志の死の様々受けとめニュアンス捉え並べのいつしかの止まらぬ穏やかなパン移しでの·より視界を超えた周囲噛みしめ浸透感に至る。その他も、寄りCUカット入れ移行、運転しての動き等の丹念をおす90º変切替えと戻し、枝花や柵越しに何気に掛かる図、直接効果的には絡まない二つの感情のあり方も差異がある流れの併行、らは端正な眼差しへの気の張り方を現してく。特に、河岸の石切場から戻った夫が突然秘密警察に暴力に晒され検挙されたを、知り合いの伝、役所の白人も絡み、らの距離を何することなく、幼い子を抱えて求め訴え続け、やがてしゃがみこみ、号泣し、場を退かない、を当然に繰り返してく、妻の姿への追い方だ。彼女は更に夫の撲殺に遭遇し、喚きは高まるのだか、2人は故国を離れ12年ぶりに戻って間もなく、組織も誰が検挙されたか、目撃情報からも特定出来なくいる。そもそも夫は組織とどの程度関わってたのか、妻にも伝えてない参入間もない名もない兵士だったのか。それを(簡単に堕とせる·でっちあげられると)敢えて捕らえ、名前を挙げたものを知ってると言えば帰す、という秘密警察の組織拿捕の罠(やがて拷問へ)にしかし、頷かなかった正直さ·気概は、後に組織は、(認識も薄いかもわからない)彼を持ち上げ、偶々の祝祭の場を、2人~夫婦の喜びの日として、滅びない忘れられ無い価値を認め、’61年2月4日の、アンゴラの対ポルトガル支配への蜂起へ連ねてく。貧富の実態、白人の敵対を仕事を与えてもくれる、という認識もかなりの部分で根強い社会の時代に、人々を一致目覚めさせ、革命の契機になり得た事件。
共に、超然とした大傑作ではない。しかし、この様に身近な所から、岩盤に穴を開ける道具を共有させてくれるような作、その誠実さ·その大胆さと慎重さは、より具体価値を持つものとして、扱わなければならない。
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