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花に嵐のarchのレビュー・感想・評価

花に嵐(2015年製作の映画)
5.0
自分のマゾヒスティックな部分を、監督に肩組まれながら多角的にぶっ刺された、そんな感じ。超面白かった。

受動的な主人公が知らぬ間に渦中に飛び込み、巻き込まれていく。主人公が持つカメラは主人公が撮ること撮られることに関して無頓着で、尚且つ事件について無知であり、そして"映画"って何か?も分からないからこそ、彼の持つカメラには最後まで無自覚さ無意識さを失われることなく、透明なカメラだったんだなと。特にそれは全く意味をなさない顔を下からアップで撮った、まるで録画ボタン押したのに気づいてないみたいなショットが多用されていることで、その印象は強まっていて、色んな意味で"純粋"な存在を映画内に見事に規定してたなーと。多分ベースには深夜アニメなんかで多くのオタクの中に共同幻想として作られた理想像がある気がする。

これはただ狂言回しというストーリー上のロールの話をしているのではなく、それ故に"花"を救えた、ラストの別バージョンを撮ることが出来た、みたいな話になっているのが素晴らしいと思う。


この映画に出てくる女性は誰もがパワフルで、すぐ手が出るタイプの人たちで、受動的な主人公を動かす役割も持っている。誰が美人で、それをちゃんと綺麗に撮ってる。それだけでこの映画は1つ成功している。それが個人的にはジェラシーを一番感じる部分。自分が撮るとしてそこがなんなら一番出来ないところだから。


ラストにモキュメンタリーという形式を捨てて、フィックスやドリーを多用し始めるシーン、劇伴が効果的に作用して疾走感あるシーンになっていて良かった。
あそこはまさに『花に嵐』が"花に嵐"に乗っ取られる瞬間で、主人公が完全に置いてきぼりにされる。彼はある種あそこで、役割を終えて置いていかれたんだなぁと観ていて思った。そこもマゾには刺さる部分って感じ。最後には2人で光の中に消えていくので、解釈は別れるだろうけど。
最後の『8 1/2』ショットってどうやって撮ったんだろ う。主人公は全く映画を見てない人間だと思うので、なんだかあれは主人公の主観でありながら、花の妄想、花の悲願達成のシーンのように思える。そう考えると、やっぱ主人公は置いていかれた、なんの事情を知らずに、ってことな気がする。
あの別ラストは彼が無知無垢無意識無自覚の"カメラそのもの"だったからこそ、花を撮るもうひとつの自意識として居たに過ぎない気がする。


それでも彼はカメラを借りて撮ろうとし続けるのが、いいラストなのかもしれない。


こんな映画撮れたらなと思う自分と、これを撮るまでにシバキ倒しただろう自意識の数々を思うと、戦々恐々とする自分がいる。
そういう苦難の先にしか誰がに刺さる映画は撮れないんだろうなと思いました。。
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