ケーティー

ドリームのケーティーのレビュー・感想・評価

ドリーム(2016年製作の映画)
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完璧な脚本で、わかりやすく黒人女性差別を描くエンタメ作品。


とにかく脚本がうまい。
見事な構成、巧妙な伏線の張り方、ウィットに富んだセリフと、エンターテイメントとして事実をわかりやすく脚色した上で、完璧な作品に仕上げている。

構成としては、まずはオープニングの上手さ。初めのセリフと行動で、メイン三人の人物像を見事に描き分け、わからせている。そしてその後には、ちょっとドキドキさせられるシーンからの逆転がいい。このオープニング自体が、黒人差別を描くと共に、この映画が描いていく差別からの逆転劇を暗示している。それでいて、シーンとしても面白い。見事なオープニングである。

オープニングに続いて、映画はソ連の宇宙開発進行に苛立つ関係者を映す。ここで、後にキャサリンの同僚となる人物に憶測でものを言ってはいけないと言わせるあたりもうまい。これも後半の伏線となっている。こんなことを言っている人物が劇中では、まさしく憶測ばかりで行動するから映画が面白くなる。

そして、映画はいよいよNASAで生き生きと働く三人の女性たちの登場となる。ここでの明るくファッショナブルな服装、自ら扉を開け、生き生きと闊達に歩く姿がいい。この女性たちの明るさこそが映画の魅力となっている。

日本の映画やドラマでキャリア・ウーマンが出てくると、なぜか男勝りで世間の幸せ(普通に家族をもったり、女としての幸せをもって生きること)とは違う世界の人間として描かれる。これは、「ハケンの品格」、あるいは、天海祐希さんや米倉涼子さん主演のドラマ(作中でお二人は大変魅力的だが、あくまでも本作との対比として例示する)を思い浮かべればわかるだろう。

主人公の三人は、みな家庭をもっており、女としての幸せを享受している。キャサリンも初めこそ、軍人のジョンソンと出会うとき、自分はこのメガネで生きてきたなどと言うが、次第にプライベートではメガネを外すようになる。すなわち、キャサリンは仕事で栄光を掴んでいきながらも、同時に一人の女性としてイキイキと、どんどん魅力的に生きていくのである。日本では、どうしてこういう普通の女性のキャリア・ウーマンを描けないのだろうとしきりに思った。おそらく、この背景には、日本がまだまだ女性の社会進出(女性の労働の問題)に遅れていることもあるのかもしれない。あるいは、作品作りとしては、女優さんはそもそも男っぽいからこういう役の方が演じやすいし(特に男役出身ならなおさらだろう)、作る側も特殊な女性を出したほうが簡単に面白くできるという事情もあるかもしれない。もっお日本でも、本当の意味で普通の人のキャリア・ウーマンを描く日が来るといいと思うばかりである。(普通の人のキャリア・ウーマンが当たり前になる社会になる、あるいはそういう人を徹底的に見つめて作品をつくろうとする創作者が現れる)

少々話が脱線したが、この映画はわかりやすく脚色することや変化をわからせるための対比の作り方、そして、細かな伏線がうまい。

※ここからはネタバレになりうる記述があります。



まずは主人公の設定である。
正直なところ、映画のラストで本人映像が出てくるところは驚いた。なんと一番の主人公キャサリンのモデルの人は、見た目はブラックではなく白人に近く(アフリカ系の血も入ってるが、ネイティブアメリカンなど多民族の混血)、そのうえ美人なのである。だからこそ、実際はNASAでも受け入れられたのだろうと思わせるのである。しかし、本作は作品をエンターテイメントとしてわかりやすくするため、思いきって、完全なブラックでブスの主人公にしたのである。もっとも、タラジ・P・ヘンソン自体はブスではないので、極端に演出でそう見せるようにしている。そして、そのブスのブラックが成功するという姿を描くことで、観客が思わず応援したくなるし、変化もわかりやすくなるのである。また、キャサリンは本作で女性としても魅力的になっていく存在であり、それが本来のタラジ・P・ヘンソンを徐々に映していくことで、出てくるのである。このあたりのエンターテイメントとしての割りきりとわかりやすい演出がうまい。
これは他のキャラクターにも言え、実際は複数の人のエピソードをケビン・コスナー演じるアルにまとめたり、また事実では物語の描く時期にそれぞれ管理職と技術者の夢を叶えていたドロシーとメアリーを徹底的に弱者として描くあたりもうまい。

このあたりのエンタメとしての割りきりは、事実を知るものにとっては賛否の別れるところかもしれないが、本来作品が描きたい差別のテーマをいかに効果的に描くかや作品としてのわかりやすさと面白さを考えてつくることを考えたとき、実にその設定・構成がうまいのである。
とりわけ、対比という視点でうまく、細かな事実を捨て、そして一部変更することで、初めと終わりで落差をつけ、変化をわかりやすくしている。キャサリンの変化以外でも、ドロシーを極力居室以外では一人でこそこそと行動させることで、仲間を引き連れて新部署へ向かうとき、ここをとてもかっこよく感動的なシーンに見せることに成功している。また、ただ対比で魅力的にするだけでなく、ドロシーの人柄をキャサリンやメアリーとの絡みなどからわからせ、そういうことをしうる人だということをわからせる伏線を小出しにつくっているのもうまい。

こうした伏線という意味では、ハンマーのシーンも、序盤にIBMが居室に入らないシーンで、アルに壁をハンマーで打ち砕けばいいと言わせているあたりがうまい。もっともこのシーンは、アルが立ち去るところのセリフも、ウィットに富んでいていい。

このように、作り手のうまさがこの作品には目白押しで、エンタメ作品をどう作ればいいかのエッセンスが詰まっている。

そのほかにも、セリフではなく映像で語るのもうまい。特に印象的なのはメアリーが新しい職場に初めて行くシーン。
ここは、ハイヒールという極めて女性的なアイテムでメアリーを登場させ、そして、そのハイヒールが床の金網に引っ掛かり脱げなくなるときの白人男性男たちの反応を描くことで、何も語らずとも黒人女性への差別の実態をわからせてしまうシーンとなっている。(おそらく、白人女性が同じことをすれば実験を止めただろう。あるいは、止めなくとも、裸足で歩く彼女をもっと気にかけたはずである)

最後に本作に出てくる人物はみな魅力的だが、脚本上の設定のよさと名演があいまって、ケビン・コスナー演じるアリがすごいよかった。

後で知って驚いたのだが、ケビン・コスナーは本作のキーポイントを扉を開けることだと話していたと言う。たしかに、本作では序盤から黒人女性たちが自ら扉を開け登場するシーンが印象的で、それは自ら道を切り開く彼女たちの姿とタブって見える。ただ、ケビン・コスナーが流石なのは、だからこそ、ラストでアルが自ら扉を作中で初めて開け、キャサリンを招き入れるシーンが重要だと言うのである。たしかに、初めて本作を観たときも、そのシーンは感動的でいいシーンだったが、ケビン・コスナーが話すように、作品上もそこには深い深い意味があるのである。そういった作品自体の構成、またそれを認識した上での自らの立ち位置やニュアンスを伝える細かな演技ができるからこそ、ケビン・コスナーは名優なのだろう。


※三幕構成
・第一ターニングポイント
残業時の上司との会話or黒板に数式を書くシーン
・ミッドポイント
ハンマーのシーン
・全てを失って~第二ターニングポイント
仕事の左遷~検算の依頼を受ける