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Lights(原題)のニューランドのレビュー・感想・評価

Lights(原題)(1966年製作の映画)
3.5
【詳述は『サーカス·ノート』欄で】イメージの拡がりより、うちで固まってゆく心地良さ。ここではその他、恵比寿映像祭の空き時間で軽めに観た展示フロアの作品を主に。

✔  ❨ペギー·アーウィッシュ❩①『the vision machine』(3.4p) ②『she pupet 』(3.2p) ③『thefalling sky』(3.2p) ④『warm objects』(3.3p) ⑤『the star eaters』(3.5p) ⑥『kansas atlas』(3.4p)⑦『curve the nigit sky』(3.5p) 
  ❨トリシャ·ブラウン❩①『集積』(3.1p) ②『homemade』(3.2p) ③『建物の側面を歩いて降りる人』(3.4p) ④『森の床』(3.3p) ⑤『leaning duets』(3.2p)⑥『建物の壁を歩く』(3.4p)
  ❨越田乃梨子❩』①『壁』(3.4p) ②『部屋』(3.5p) ③『箱』(3.4p)④『机上の岸にて』(3.3p)
  ❨大木祐之❩『meta dramatic 劇的』(3.5p)
  ❨実験工房❩①『見知らぬ世界の離して』(3.2p)②『水疱は創られる』(3.1p)③『試験飛行家W·S氏の眼の冒険』(3.1p)
  ❨梅沢英樹❩『echoes from clouds』(3.1p)
  ❨葉山嶺❩『helloes-hare-wallaby』(3.1p)
 ❨ルー·ヤン❩『doc the self』(3.2p)
 ❨フィオナ·タン❩『リフト』(3.1p)
 ❨杉山邦恵❩①『患者0号』(3.1p)②『腸人間』(3.4p)③『tie or not』(3.3p)
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 ❨アーウィッシュ❩はホール有料上映で観たが、徹夜明けで寝ようとして思い立ち、駆けつけたので、朧ろな印象しかない。しかし、遊戯·夢·日常·自由·独立と、管理·支配·受入れ招き·環境·喪失·境界といったことを深く強く底で扱いながら、語り口は柔軟であらゆる要請の下でも対応し、討っても出れる気骨と技が身に付いてる。①は、回転す歪んだレコードにメッセージ文字被さりと、長めスパンで交錯する、女子たちの漫才?や会食が持続しから、(カメラ内レベルから、全への)崩れ·破壊へも、のゴダール·アッケルマン風。②は飛び廻り戦う女戦士の勇ましいTVゲームに相反す言葉が、被る。③は、今風のやや冷たくも立体感と動きあるCGアニメのキャラらが様々な(不可視)記号と絡まり、家庭日常·商業主義や管理システム下·早期断定の犯罪暴力暴動発展·鎮圧へクールに進んでく、近未来SF調。④は赤外線カメラらしいが、日常光景が、色や線ビリビリ感に浸食されてる、不安感。⑤は、モーテル~カジノらをフラフラする、レズカップルの退廃惰性を、自ら主演、スロー·逆回転·手鏡·天井のシャンデリアや大鏡面写り·深い縦の図や手慣れたデクパージュで、爛熟味圧巻滑らか怠惰に染まりそうも、染まり切らぬ気概と深さがあるを描く。⑥は、超横長2面繋ぎ空撮画面が続き、勢力拮抗侵食に繋がる、接線や境界の緊張を視覚的に押さえてく。⑦は、コマ撮り·闇夜の、チラツキ·アトランダムに動き流れる、空の星ばかりでない、地上木々越しの白い限りない点群の美しさ、は車ライトを交錯させたかと思ってたら蛍群との事。神秘で純粋。
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 それ以外は展示スタイルで、粗くしか見てないが、目に留まったものを。❨ブラウン❩と彼女の流れのパフォーマンスを記録した’60年代半ばから’70年代半ばの、画質は悪くも、貴重なビデオ群。①はフィックスで1人敢えてスロー味増すダンス捉え。②は装置背負い、動きや同時映像投影·カメラのズーム·パンも可笑しさやダイナミズム振り。③は、ロープ股に挟んでのビル垂直壁降りを、屋外の荒く息吹きある絵、地上客らとの切返しや壁降り自体のダイナミズム、映像作品として見事。④はトランポリン?枠内の縦横ロープの多種衣類通しに自らの身体を入れてく、女性らパフォーマンスの豊か立体的映像捉え。前半モノクロ·後半カラー。⑤は路上で、脚は一点固め·繋いだもう一方の手は広げる上半身で、進み難い苦行パフォーマンスのカップルら様々の捉えも自由·開放感。⑥は、室内空間壁設え·ロープ支えで、身体を垂直傾けて歩く女性らを映画デクパージュで適確に描き分け。
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 鮮やかさで今回白眉は、❨越田❩の、簡易過ぎるセットへのどんでんの位置の、2台カメラを(別撮りの時もあれど)同時シュート、その画面を縦か横に割って、二部屋の家のようにくっつけ、またワンカットで割ってないかのように流し続ける、作らか。1人か、男女2人かが倍加して増え、相互に同じか·似たキャラとして、呼応しあう。3連作の中で②が、カメラ角度や元の人数がこれだけ2人、繋ぎ方も1·2階としてて、カメラも正対から斜め一面でも不可視区域があって、裏表の呼応·演技の悪意がより、面白く味わい深い。前後の入れ代わり·サインの送り受け·現れ消え、一致や似た行為のはみ出し、からセット自体への問い掛け·解体へ向かう。④だけは長い平均台?を割って繋ぎ、端にいる2人を横フェローやズーム·廻り込みもするので、台自体が伸縮し、2人の位置も入替ったりする。少し、見た目のシンプルを欠く。
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 ❨大木❩は、言葉と映像とライブについて語りながら、ドラムらセットのステージに脱衣語りの自己の半ライブ?のF固定画面·その中の過去のライブを撮した映像モニター·というベース、林歩き·東出らの山の家(仲間と小松も?)·簡易調理場·山の墓地や湾·地方の街中·過去の似た自己ライブらがカメラ揺らしパンし動きながらの多様OLやカットバックが、不可思議に溶け合わされてく。照明の白や青·緑の染め、明滅、エッジのテカりが、錯綜·重なる中に外の不可思議で妖しい艶めかしさが生まれてく。やはり大したもの。
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❨ 葉山❩は、実写が幾らかベースだとしても、アニメ加えの柔らかさ·目の光や毛のケバダチ動きの外形をダイナミック回り込みから、そのネズミ剥製の体内に入り、生身感·抽象性·自由想像力の世界を示してく。面白い。
 ❨ルーヤン❩は、壮麗·華麗·複雑な人·衣装·都市と人の果てない残骸、空中ひとりクリスタル的分解、らのCG世界延々がアラ気にならず飽きないのは、「短か過ぎる命の時の中での感慨は、宇宙·世界の実存の一部の証左。悲惨人生の復讐果たす呪術師の世界破壊は夢か。目覚める為の夢。世界を歪め二項対立らを規定する‘我’が瓦解すると、正しい感覚理解や無に」の展開のスケール果てないせいか。
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 ❨実験工房❩は、は武満ら実験工房の1950年代の、捲り?送るスライドと音楽台詞のリンク装置作の再現で、透明·クリスタル·板と球と棒らの擬人世界の図に、①カオス~惑星に創られ繁栄す人類の氷河期や不満に対し神が応え·死や原子力の与えて後一瞬だけ輝き超新星化へ、②沸々たる欲望湧くのおさまらぬ人間社会、③宇宙飛行士の目を失い写る像らを、冷めた音楽とナレーションで描く、それらしい味と、気を惹く。当時のトンガッた感覚·知性を甦らせてる。
 ❨梅沢❩は3面スクリーンを使い、山·霧·水面·古書水中の木材·人とホテル一室の水滴や機器や寝起き時·ダムを臨む姿らを、柔らかく組合せ、「開発」が、「洪水」を招きもしてる現代に、「山水」の美観·思索を持ち込む。
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 ❨フィオナ・タン❩の風船群での上昇·横歩きに対す、ティルト·パン·足裏から仰角の、素朴悦びの16ミリフィルム撮りは今となっては、得難い味。
 ❨杉浦❩の精巧なモノクロの硬質なデジタル切り絵の発達風アニメは、アナログにない歪みや艶めかしさ、自動増殖感が出ていい。①の数と動きの発展増加のスマートより、②の腸の限度ない変質·増加·敢えて切り絵ベースの重ねのえげつなさ、③の図形のちいさな二円が、人間的時事·生活映像を写し、それが拡大主となる思わぬ活き活き感(また小さいのへ戻るも)の方が、ルール越えして面白い。
 元々は、この会場は文化庁の「メディア·アート祭」だっけ、の会場で、応募が前提の為か、賑やかで展示も楽しさに満ちてたが、会場を変えたので、似た趣旨のを美術館主導·熟考もない思いつき寄集めで埋めたのが始まりだったが、中身よりも、魅せ方·発信の仕方が全く熟れずに来てる。ワクワク感が湧いて来ないのは辛い。いい作品もあるのに、届き拡がるが稀になってしまってる。冊子も作品も、只ドーンと置いてあるだけたがら、次回への繋がり·テーマが出て来ず、特色も生まれない。
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