ツルネ

君の名前で僕を呼んでのツルネのネタバレレビュー・内容・結末

君の名前で僕を呼んで(2017年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

誰しも自分の中に自分だけの価値観や世界観を持っている。それは容易に覆れる事はなく、ただ「何処か」だったり「何か」だったりに触れて大きく変動する事はある。君の名前で僕を呼んでは、その「何処か」や「何か」に当て嵌る。この物語の世界は、自分の持つたった一つの世界に強く影響してきた数少ない作品、価値観のひとつとなった。

真っ先に美しい空間が己を魅了してきた。まるでユートピアの様な美しいイタリアの夏は、真に美しいものを知り尽くしていないと作ることの出来ない世界だ。自分はまずそこに圧倒された。
音楽も天気も建物も服も食べ物も食器も、全部がささやかな美しさを放っていて、その中で一際うつくしく輝くのが エリオとオリヴァーだ。

エリオはまるで冒頭に登場してきた彫刻の美青年のような巻き毛の美しい少年で誰も文句の付けようがない。そして賢くて少し独特な刺々しさを持っている、それも魅力だ。
オリヴァーは打って変わって甘い大人のマスクをもっている。大きく開いたシャツの胸元にはやわらかな胸毛とユダヤ人の印が煌々と輝く。眩しくてよく目立ち、控えめさなどどこにも無い自信に満ち溢れた生粋のアメリカ人だ。
そんなふたりが「ユダヤ人」と「知性」の2つのポイントで繋がってゆく。お互いがお互いの存在の強さに戸惑い、揺れ動き、惹かれあってゆくとても自然な愛だ。なぜならお互いがお互いを美しい存在として認めざるを得ないくらい 双方の存在感は強いのだから。

オリヴァーは同性愛というものに対して抵抗感がある。だからエリオに拒絶されたと感じたら直ぐにやめてしまう、とても臆病な面を持ち合わせている。石橋を叩いて渡る良心的な"大人"のイメージを保つ彼に、エリオは喉が焼き切れそうなほど焦れるのだ。
そのエリオと言えば、伸び伸びとしたイタリアの自然の中で賢く賢明な両親の大きな愛に包まれ育ってきているのだから 愛を感じれば同性であれ些細な問題だとせがむ。二人の決定的な壁はそこにある。
けれどエリオは若さという情熱をもってしてオリヴァーを射止め2人の関係は繋がる。美しいイタリアが生んだ小さな奇跡の愛だ。

けれどやはり現実とはそれほど理想的ではないので、オリヴァーはこの夏きりの関係だとする。エリオはその賢さからそれを承知の上でオリヴァーを求めたのだと思う。期待はしていたかもしれない、けれどきっとずっととはいかないのだろうという事は察していたのだろう。それ故の激しい恋だったのかもしれない。

別れの後は、瑞々しい夏が萎む時の様な物悲しさを感じる。オリヴァーを攫った汽車を見送るや否や母に電話をかけ迎えに来てと頼むエリオには、両親への絶対的な信頼関係が見て取れ 恋を失っても 親という普遍的な安息の地が約束されている事に こちら側もほんの少しだけ安心する。
その点で言えば、父とエリオの会話からもそれを察する事ができる。父はエリオの傷を少しでも善いものにするために 父という垣根を越え、一人の男として 対等な人間として 自分にも同じ様な経験があったと告白する。これは父からエリオへの信頼がないと成り立たない会話である。これだけ勇気を持てる親子関係というのはそうそうに無い。羨ましくなるほどの美しく理想的な家庭だ。

そんな素晴らしい家族愛に支えられ、エリオは激しい夏から静かな冬へとゆっくり身を置く事ができたのだろう。そんなある冬の日に電話がかかってくる。オリヴァーも心配していたのかもしれない。けれどオリヴァーはエリオの賢さと強さを知っていたから包み隠さず伝えたのだ、結婚すると。
エリオはそんなオリヴァーの気持ちに応えながらも自分の感情を消すこと無く尊重し、あの夏と寸分たがわない声色でオリヴァーを求める。そしてオリヴァーもそれに応えた。なにも変わっていなかったのだ。あの夏はいつでも、どこにでも存在していて、オリヴァーとエリオ双方の中に今でも息づいている。その素晴らしさといえば何にも形容し難い。

別れたカップルは通常気まづくなって会わなくなるか、友達という関係に戻るかのどちらかである。けれどエリオとオリヴァーはそのどちらでもなく、なにも変わらないのだ。お互いがお互いを一ミリたりとも疑っていないし、いつだってあの夏に戻れる。オリヴァーは結婚したし、エリオもこの先恋人が出来るかもしれない。

けれど、それでも2人の関係は「エリオとオリヴァー」なのだ。
ツルネ

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