るる

君の名前で僕を呼んでのるるのネタバレレビュー・内容・結末

君の名前で僕を呼んで(2017年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

サントラが良い、正義。

オリヴァー、結構、不躾な男だなと。部屋の主そっちのけでベッドに倒れこむように寝てしまうし、果樹園の説明も聞かずに食事するし、エリオを置いて去っていくし、世話になっている教授を意気揚々とやり込めるし。エリオを取るに足らない子供扱いする…

いつのまにか行きつけのバーをつくっていて、女の子たちに大人気、不躾にエリオの身体を触ったかと思いきや女の子に触らせる、あまりにもソツのない、

最初はどこか気にくわない男、あまりにも定型で笑う。

避暑地で過ごす、一夏の恋、使用人のいる暮らし、馴染みのない世界でとっつきにくさは感じつつ。

くっつけたいのか? そういうのは自分で決める、余計なもてなしはしなくていい、はしゃいでいた幼さを突きつけられる、

休戦の握手、茶目っ気、

頭にパンツ被ってうずくまる、なんてバカなんだ…そしてきっかけは特にないのね…

雨の日、停電の中、母によるエプタメロンの朗読を家族で聞く、なんという幸せ家族、文化水準の高さ、仰け反るわ、あまりにもわかりやすい挿話、いつでも話を聞くと言ってくれる父、なんという満ち足りた家庭…

あまりにも子供らしいエリオが眩しすぎて。告白を華麗にかわしてみせるオリヴァー、なんとまあ。じゃれる様子がなんとも。

ガールフレンドたちが出入りするのを確認して姿をくらますオリヴァー。これからどんな人生でも選べるエリオが眩しい

お揃いのネックレス、帰ってくるのを待って、裏切り者、と呟いて。

女の子との初体験。深夜にラブレターを書いて部屋の扉の下から滑り込ませる、浮かれてんなあ、

大人になれ、真夜中に会おう、手紙の文字を口の中で繰り返す、そしてマルシアといちゃつく、浮かれてんなあー、

シャツを貰う約束、一夏の恋だとわかりきっている…

嫌いになったかと繰り返し尋ねるオリヴァー、どことなく臆病な

グズグズの桃で自慰、なんてバカなんだ…そんなところに置いて寝るな、そんなものを見つけるなよ笑う、と思ったら泣き出したエリオに戸惑うオリヴァー、あまりにも幼いエリオ…

父の台詞が良いと聞いていたので身構えていたのだけれども、うーん、新しい世代へのメッセージだとは感じたけれども、そこまで刺さらず…『ムーンライト』のマハーシャラ・アリの台詞が良すぎたよ

あまりにも美しい冬、婚約の知らせ、顔を見合わせる両親、家庭環境の違い、僕は君のようには生きられないんだと言外に、

暖炉の炎を見つめながら泣くエリオ、背後で食事の準備をする母と家政婦、あまりにも美しいエンドロール、これを超えるエンドロールには暫く出会えないんだろうなと感じた

ギリシャ彫刻、喧喧囂囂の政治談義、もう時代が違うというやりとり、いろいろと含意は察しつつ

正直好みではなかった、けれども、サントラが良すぎた、これ続編あるの? すごいな…

たぶん日本のBL漫画小説で、海外にウケる作品はたくさんあるはずなので頑張ってほしいところ…ポルノではない苦悩しすぎないフラットな同性愛の物語、いまけっこうあるよね…個人的には、どうせ結ばれないなら、もうちょっと一途かつヒリヒリした話のほうが好みかな…

追記
オープニング、ピアノ連弾曲なの示唆的だなとか。wikiを見て、なるほどな、たしかにあれだけギリシャ彫刻の話、男性美、男性の官能性について話していたわりに、男性の全裸があまり登場しなかったの、もったいない気はしたかな、女性の身体美について描きすぎるほど描いてきた映画という媒体だからこそ、男性の身体美について、もっと徹底的に向き合って描ききって欲しかった気もする、ゲイムービー、ポルノと誹られることを避けたのだとしたら、やはり不均衡で、難しいね

2018.10.10.追記
引っかかりをあえて言語化しておくと、エリオの、親愛の情と性欲と恋情が渾然一体となった、思春期の男の子像がチョッピリ苦手だったんだよな。14歳の男の子の恋愛模様なら納得いったんだけど、17歳の男の子にしては幼すぎない? 天真爛漫すぎない? と思って、共感はできなかった。
同性に恋したからといって悩んだりしない、社会的規範に縛られていないところ、制御できない溢れる気持ちをそのままにできるところがエリオの魅力といえば、そうなんだけども。
もう17歳なのに…でもまだ17歳だもんね…と見守る目になる程度には、私も大人なんだけれども。

マルシアに親愛や性欲を抱いていたエリオが、オリヴァーにも親愛や性欲を抱くようになり、オリヴァーとの関係を深めるにつれ、異性のマルシアよりも同性のオリヴァーを選び、そして失恋するに至って、オリヴァーは唯一無二の存在だったと悟る、唯一無二の恋だったのだと、観客に突き付ける脚本構成だったと思うんだけど。

エリオがオリヴァーとの共寝を約束しておきながら、並行してマルシアとの逢瀬を楽しむ様子に、浮かれるのはいいけど、君の性欲発散に女の子を巻き込むなよ、と思っちゃったんだよな。クィアな若者の青春模様、異性と同性、両方と付き合ってみて初めて自分の恋愛感情の在処がわかる、ほろ苦さも成長も、理解はできるんだけど、私は基本的に女の子の肩を持ちたいんだなと思い知った。
異性愛と同性愛を天秤にかけたような描写に感じられて、エリオは生粋のゲイってわけじゃない、女の子ともセックスできるけど、同性であるオリヴァーを選んだ、だからこれは真実の愛だ、っていう、よくある「言い訳」にマルシアが利用されたようで、同性愛を描く物語として、見ていてイマイチ乗り切れなかった。当て馬とまでは言わないけど…そのエクスキューズもういらないから、と思ってしまったんだよな。

BLに女を絡めるなら、もう一工夫…マルシアにもう一言、なにか言わせて欲しかった気持ち。そこに新しい景色を見たかった気持ち。

そして言葉を選ばずに言うと、女の乳首を見たいわけじゃなかったんだよな。やっぱり映画としては、マルシアの裸の生々しさが吹き飛ぶくらい、オリヴァーの裸の美しさ、生々しさを見せつけて欲しかった気がする。女の身体より男の身体のほうが美しいと、優劣をもって見せつけられたところで、女体持ちとしては困ってしまうんだけども、
どうせギリシャ彫刻の男性美を引き合いに出して古代ギリシャ(男尊女卑社会、男女の結婚生活とは別に、生殖や快楽を目的としない男性同士の性交が互いの精神を高める行為として推奨されていた、年長の男性が少年を教え導く体裁をとった)を連想させるなら、それくらい思い切ってくれても良かった気がする。

オリヴァーに熱烈に恋しながらマルシアともいちゃつくことができるエリオ、その行動の頓着のなさ、未分化な感情と欲、区別なく他人を愛することができてしまう天真爛漫さに、違和感を覚えてしまうのは、日本とイタリアの恋愛文化の違いも関係するとは思うんだけど。

より正確に言うと、私はたぶん、一途な恋愛物語のほうが好きというより、相手が異性だろうと同性だろうと、他人に性欲や恋情(独占欲や征服欲を含む)を向けることに躊躇してしまう(罪悪感や畏れや羞恥や抵抗を抱いてしまう)、だからこそ、のべつまくなしには他人を愛することができない、そんな人間の話のほうが共感できるんだと思う。
これは私が、性的なことは秘するべきこと恥ずべきことだと長年にわたり刷り込まれていて、未だに人間の性欲というものを素直に肯定できていないからだと思うし、少なからず、女の子は慎み深くあるべし、という抑圧の影響下にあるからだと思うから、歪んでる自覚はあるんだけど。(とはいえ、日本人は男女ともにこの価値観に呪縛されてるひとが多いと思う)

エリオに対して距離をとってしまったのは、ああこれは性欲を持つことを許されている男の子の話だ…無邪気な17歳の男の子の恋愛模様だ…17歳の女の子が果たしてこんなふうに恋愛できるだろうか…と呆れたり羨ましく思ったからかも。

桃で自慰、そして泣き出してしまったエリオの様子に、溢れる感情と欲の大混乱が見て取れて良かったけれど、その制御できない恋の無茶苦茶さにこそ、焦点当てて見たかったかも。反面、助言もできず、戸惑いながらエリオを抱きしめたオリヴァー、彼にはエリオを受け止めきれないと予感させる、美しさと眩しさの中で際立ったシーンになっていたと思うけれども。オリヴァー視点の物語も見たかった気もする。

かといって、典型的なBLやブロマンスにあるような、男が男に恋して"普通"じゃないと混乱して悩む、女に対しては適当な恋愛ごっこができていた、女に対しては遠慮なく性欲をぶつけることができていた男が、同性相手になると躊躇する、男が相手となると慎重になる、社会の目が気になる、それ以上に、真に惚れた男を前にしてどう振る舞えばいいか見失う、それまで"普通に"女と付き合ってた男が、女とは築けなかったような特別な関係を男と築く、といった物語にも、そろそろ辟易していて、
ホモソーシャルにおける、女のことを舐め腐っているが男には敵わない男、惚れた男の中に女よりも勝る部分を見出す男、BLを通して女を下げて男を上げる図を、無自覚に見せられても…もはや新しさは感じないので、

エリオのような少年を主人公にした青春物語として見られたのは良かった。かな。

エリオに共感できなかった一方で、25歳のオリヴァーには、オマエなあ、わかるけどさあ、もうちょっとさあ、と思ったので、続編を見届けたい気持ちはある。大人になった彼らがどう…オリヴァーの妻をどう描くか、かな。注目はしたい。
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