櫻イミト

紅い唇/血に濡れた肉唇の櫻イミトのレビュー・感想・評価

紅い唇/血に濡れた肉唇(1975年製作の映画)
4.0
フランス吸血鬼映画のカルト監督ジャン・ローランの代表作。カステル双子姉妹が5年ぶりに揃って出演。原題は「Lèvres de sang(血の唇)」。

古城の前に車が停められ、男たちが地下室に死体を運び込む・・・。パーティーに出席しているフレデリックは壁にかけられた古城の写真を見て、忘れていた20年前の記憶を思い出す。12歳の時、古城で美しい娘(アニー・ベル)に出会い「また会いに来る」と約束して別れたのだ。このことを母に尋ねるが「妄想だ」と笑われる。あくる日、時間つぶしに映画館に入ったフレデリックは、スクリーン脇の出口に古城の娘の姿を発見する。思わず追いかけるうちに、いつしかあの古城にたどり着く。地下室に入り棺桶を開けてみると。。。

これまでのローラン監督作品の中では、映像シナリオ共に最もしっかりと構築され予算もかけられているように見受けられた(予算についての裏話は後述)。古城、墓、二人組女子、吸血鬼、ローラン・ビーチと、いつもの定番要素を用いて耽美な恋愛伝奇ミステリーを描きあげている。

少年の日の初恋と不死のマドンナが描かれる映画としては「銀河鉄道999」(1979)などの日本アニメ、同じく吸血鬼モノの「ぼくのエリ 200歳の少女」(2008)を連想するが、本作のニュアンスがより近いのはデュヴィヴィエ監督の「わが青春のマリアンヌ」(1955)だ。と書いていて、仏映画史におけるローラン監督の立ち位置は、デュヴィヴィエ監督らの詩的リアリズムと、カラックス監督ら新詩的リアリズムの中間にあると気付いた。ヌーヴェルヴァーグ勢のために映画興行が衰退したフランス映画の空白期に、ローラン監督(1938生)は彼らが否定した抒情ロマンを抱えてデビューした。日本でいえば若松孝二監督(1936生)や寺山修司(1935生)と同世代で、ヌーヴェルヴァーグに刺激を受けつつも根っこには詩的リアリズム的な感性を持つ過渡期の作家と言える。個人的には彼ら世代の前衛が好きなので、ローラン監督に魅かれる理由が紐解けた気がする。

本作で見逃してならないのは序盤のシーン。母親に20年前の記憶を訪ねている時の背景が子供部屋になっていること。つまり本作は母親からの自立を描いた通過儀礼の物語と捉えられ、寺山修司の“母殺し”と共通している。

一方、ローラン監督がアート映画の制作資金を得るためにハードコア・ポルノを手掛け始めたのは本作からとのこと。作家としてのその生き様は、同じ目的でピンク映画を手掛けていた若松孝二監督と被る。実は本作の場合、資金稼ぎのためにハードコアポルノバージョン「Suce-moi vampire:サック・ザ・ヴァンパイア」(1976年71分)が制作されている。ネットにビデオダビングを重ねた劣悪状態のものを見つけて視聴したが、とことんえげつない低俗ポルノに仕上がっていた。撮りたい映画のためにこのような仕事を続けていたのかと、ローラン監督の裏の姿を知ることができた。

主人公が立ち入る映画館の壁面には監督の第2作目「La Vampire nue」(1970)のポスターが。そして館内では第3作目「催淫吸血鬼」(1970)が上映されていた。主人公はスクリーンに映し出された同作とシンクロした動きで階段を上り、吸血鬼の世界に足を踏み入れる。ローラン監督の初期4連作に続く5本目の吸血鬼映画となる本作は、ヴァンパイア・サーガの集大成のようにも見える。人気アイコンのカステル双子姉妹も出演しているので、初めてローラン監督作を観るのにおススメの代表作と言って間違いない。なお、監督が手掛けた吸血鬼映画は全部で8本とのことである。

※古城のマドンナ少女を演じたアニー・ベル(当時17歳)は、セシルカットが良く似合い独特の存在感を放っていた。本作がデビュー作で、以降はイタリアに渡りエクスプロイテーション映画に出演したとのこと。

※本作に登場する古城はフランスのソーヴェテール(Sauveterre Castle)城。ちなみに雰囲気の似ている「わが青春のマリアンヌ」はドイツの城でロケしている。
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