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汚れた手をした無実の人々のsleepyのレビュー・感想・評価

汚れた手をした無実の人々(1975年製作の映画)
4.4
ゲームの主人は誰だ *****






Les Innocents Aux Mains Sales, 英題Innocents with Dirty Hands, 1975年、仏、カラー、125分

フランス映画祭2011の関連企画として行われたクロード・シャブロルの回顧上映「クロード・シャブロル特集 映画監督とその亡霊たち」のみでおそらく公開。未VHS・ディスク化(テレビ放送は未確認)。

フランスの田舎の港町サントロペ。陽光まぶしいこの地に悪魔がその種を育んでいた。心臓が悪いのに酒に溺れるルイ(ロッド・スタイガー)。際立って冷たい美しさだが、どこか爛れた年下の妻ジュリー(ロミー・シュナイダー)。「営み」はなく、彼女の燃えるような欲求は満たされていない。そして近くの若き男前の隣人ジェフ(パオロ・ギヨスティ)。この3人が出会った時、悪魔はその首をもたげ始めた・・。しかも悪魔は1人ではないようだ。そこに起こった失踪事件・・。

憎悪、嘲笑、モラルの欠如、いや人間性の欠如。嫉妬と金だけではなく、劣等感が織りなす妄執。人間の性的で冷血な素地が露わになる、セクシャルで歪んだスリラーとはいえる。ゾクッとするショットやニューロティックな空気醸成がある。舞台は閑静なところだがノワールの側面も感じられた。
しかし展開は一筋縄ではいかない。やはり悪魔は一人ではない。多くの人が何かを隠し、嘘をつき、だまされ、裏切られる。胸やけがしそうな、しかし冷徹で残忍な背信の数珠つなぎ・・。人の支配、屈服、所有。

それはまるでジョーカーが複数あるカードゲームのようだ。勝った者は負け、負けた者はあるものに勝つが、その者も別のものに負ける・・。誰が何を見て、誰が見ていないのか。全体像を誰が知っていて、誰が知らないのか、という問いが倒錯の中、投げ出される。誰もかれも自分のしたことしかわからない世界。かつ、このゲームは子どものゲームではない。性を燃料とした精神的SM勝ち残り戦の様相を呈するゲームだ。

スタイガー演じるルイの狡猾さと情けなさとサイコさ。蓄積した負の感情の静かな爆発(とそれに続く〇〇)シーンは、人間の捻じれた悪意を鮮烈に表して忘れがたい。目撃により映画が運動し始めるのはヒッチコック的とも言える。全能感を持った人間の恐ろしさ・醜さが、滑稽一歩手前で表されている。
本作の主要3人は登場と退場時で印象が大きく異なり、その立ち位置を何度か変える。人の優位など所詮相対的なものだ。各々があずかり知らない所で歯車は止まることなく廻る。

「5時から7時までのクレオ」「天使の入江」「シェルブールの雨傘」「夜の訪問者」で知られる撮影のジャン・ラビエの見せる眩惑的なカメラワークにくらくらする。そしてシーンとシーンの繋ぎ方が抜群に良い。シャブロルとよく組むピエール・ジャンセンの音楽はほとんど聞こえないが、ここぞというとき悲劇的に運命的にショッキングに響く。

「汚れた手をした無実の人々」という原題は誰を指すのか。一気にオカルトっぽくなる最後で、またもや観客は人生に片付くことなんか何もない、と思わされる。いつものシャブロル節。
廉価な邦盤発売を望む。

★オリジナル・データ
Les Innocents Aux Mains Sales, 英題Innocents with Dirty Hands, 1975,(FR=Italy=DE)オリジナルアスペクト比(もちろん劇場公開時比を指す)不明、1.66:1, 125 min, Color, Mono, 35mm
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