稲

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 デジタル・リマスター版の稲のネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

鼓動が早いまま収まらない、、、
頭を抱えながら日比谷を早足で歩き回る羽目になった
衝撃のまま文章を書いてたらめちゃくちゃ長文になってしまった

正直飽きてたし 登場人物追いきれないし こんなに長い意味あります??って途中まで思ってた
でも 懐中電灯を持った客体としての姿を執拗にじっくりゆっくりやることで 懐中電灯を捨てて小刀を持った主体となってからの勢いや衝撃が際立つのだと感じた
ジャンヌディエルマンと少し似ているかも

個人的にはトキシックマスキュリニティについての映画だと解釈した
「女は黙ってろ」「女なんか」みたいなセリフが何度も出てきたし 小明を過度にファムファタール的に描いていて ミソジニーがきつくてかなり嫌だったけど あえて強調されたものだったとわかった

今回描かれた悲劇は小明を一人の人間ではなく 一面的な女性像で捉えていることによるものだと思う
小四の小明のイメージは「か弱くて守らなくちゃいけない小明」から「ファムファタールの小明」、つまり「自分の手中にある小明」から「思い通りにならない小明」という風に切り替わる
そんな二元論的な話ではなく様々な面を持っているはずなのに

小翠や小明の「私を自分の思い通りに変えようとしないで」という言葉が本当にすべて
思い通りに変えられるのは人間じゃなくて物
小明を一人の人間としてではなく所有物としてしか見ていないから自分の思い通りになると思ってしまう
小明とうまくいかなくなったことについても 「小四と小馬という2人の男のどちらが小明を所有するか?」という問題にすり替わっている、本当は小明と小四の間の問題のはずなのに

小明のことを本当に好きだったかも疑問が残る
小四がハニーをやたら意識していたのも 強い男の彼女が自分を選んだということに執着していたからでは
力では他の男には負けているても 小明をモノにしたという点で男として勝っていることに拘っていたように感じる

また 男らしさの象徴である力の誇示は破壊、そして喪失を生むことも描かれている
シマ争いで多くの犠牲者が出て山東の恋人が泣くように、「女なんか」と言い男らしさに拘っていた小馬が唯一の友達を失い孤独になるように、、

救いとしては 父や兄や姉、小猫王の存在だと思う
一人の人間として尊重し助けようとしてくれる存在
姉が押入れの中の小四に語りかけるシーン、聖歌を歌いながら泣くシーンは哀しいけれど美しかった
小四が死刑にならなくてよかったと強く思う、ちゃんとそういう存在のことをわかってほしいな

濱口竜介は エドワードヤンについて「絶望の後に訪れる希望」「どうしたら他者と共に生きることができるのか」を描いていると言っていたが この作品に関しても納得

でも小明の希望は?
男たちの欲望に飲み込まれ続けた小明
ただただやるせない
稲