オロゴン

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 デジタル・リマスター版のオロゴンのレビュー・感想・評価

4.1
観る度に次観るときは人物の相関図と物語を把握してから観ようと思って毎回忘れてしまいます…
なぜなら、ショットを説話的に重ねて物語っていく映画ではなく、ショットの積み重ねがある時空間を構築するような映画だと思うからです。(以前友人からジョアン・モンテイロの映画を教えてもらったときにエドワード・ヤンみたいですねと言ってそうかもという話になったのですがそのとき感じたことはそういうことだと思います)

---------------
絵画のように強度のある構図を人物や流体がぐにゃぐにゃと運動し、それを光がついたり消えたりすることで見えたり見えなかったりし、音があり、不意に音楽が流れる。そのことに驚きやおかしみや悲しみや恍惚や不気味がある。
このように映画それ自体を抽象化/一般化したかのような感想を抱いてしまいます。
--------------

4時間というのは長く、映画の中でザーザーと雨が降った後、小四の父が尋問されている場所の床が不気味に濡れていて、廊下に巨大な氷が置かれて溶けているところでどうしようもなくお手洗いに向かってしまいました…笑

というのは半分冗談のようではありますが水は流れていくというのを感じるということです。

---------
小明と誰かの切り替えしは何度かあって、だからなのか小明だけ人物の顔として強く印象に残るのですが、それは小明は生きていて殺されたということが鮮烈だということのように思えます。
小四が西部劇の真似っこで指を銃に見立てて遊んでいるのを小明が見る
小明がふざけて構えた本物の銃には弾が入っていて小四に向けて撃ってしまう
男と女の関係は、銃の戯れとして切り替えされるのですが、最後は刃物によって抱き合うように1つの画面で二人の距離が0になる。
そこでポンと引くと人がたくさんいて、徐々に周囲の人が殺人に気づいていきます
----------
あと小四と小明の関係でいうと、病気になった小明が久しぶりに学校に来て小四が声をかけるところ。横に大きく空間を使って奥行で出会う面白さが新たに印象に残りました。

そんな風にディティールを拾って反芻すればいくらでも味わいの尽きない長大な作品です。
オロゴン

オロゴン